「私が全部買いましょう」人たらしの天才・石井館長の言葉に曙が”溶けていく”【2003年 曙太郎vs.ボブ・サップ 内幕】
奥さんにだけ相談
石井和義が繰り出す口説きの速射砲に、最初は警戒感を見せていた曙も身を乗り出すようになった。石井は谷川にこう言った。 「谷川さん、『親方』って言ったらあかん。横綱って呼ばな。『K-1の横綱』『格闘技の横綱』になってもらわなあかんねんから」 谷川が「確かにそうですね」と返すと、上座に座る曙が感激している様子が窺えた。 「本当に館長の人心掌握術って天才的なんです。『やっぱり、この人は凄いわ』って心底思いました。曙が溶けていくんです。巨大な氷塊が溶けて、洪水のように流れるイメージ」(谷川貞治) 曙の反応は上々で、傾きつつあるのを確認すると、谷川は曙の顔を見据えて言った。 「改めて申し上げます。デビュー戦の相手はボブ・サップ。大晦日のTBS21時からの特番枠、つまり、紅白歌合戦の真裏を押さえています。全国民が見ます。契約金とファイトマネーは契約書に明記してある通りで、合意に達したらすぐにお支払いいたします。そして、勝ったら、ファイトマネーとは別にボーナスもお支払いします。また、練習場所もトレーナーもこちらで用意します。最高の環境を整えます。何も心配は要りません」 そう言うと、曙は「はい」と殊勝に答えた。谷川はさらに続けた。 「もし、横綱がやる気があるのなら、奥さんにだけ相談して下さい。家庭の意見は尊重して下さい。家庭を顧みないでやれるほど、甘い世界ではありませんので。しかし、やる気がないのであれば、相撲関係者に相談して下さい。おそらく、彼らは引き留めてくれるはずですから」 「なるほど」 「では、いい返事を待っています」 会談は終わった。後は運を天に任せるだけである。その後は酒を呑みながら、世間話に興じた。曙もいつになく饒舌だった。石井和義がふと洩らした。 「考えてみなはれ、やるかやらんかは横綱の自由ですわ。我々はその決断を尊重します。でも、もし、決断せなんだら、次は初場所? また、チケット売らなあきまへんねんで。大変やなあ。そしたら、また言うて下さい。何枚か買わしてもらいますから」 すると「くっくっくっ」と曙は心底おかしそうに笑った。破顔した彼の表情こそ、谷川には「OKサイン」に映った。最終的な回答は10日後に東京で聞くことに決まった。九州場所が始まる前に、一度帰京するタイミングがあるという。 曙を見送った後、石井と谷川は み直した。 「終わったーっ。いやあ、館長、今日は本当にありがとうございました」と谷川が言うと、「何を言うてるん、大変なん、これからやで」と石井は冷静な口振りで返した。そう言われて、谷川は改めて身の引き締まる想いがした。 確かにそうだ。曙以上の難関が待っているのだ。 日本相撲協会である。 続きは<相撲協会にバレないうちに…“K-1転向”を決断した曙は九州場所直前に東関部屋宿舎から“夜逃げ”した>で公開中。
細田 昌志(総合作家)