創刊70年!日本で最も長く続くマンガ雑誌『なかよし』で…最初にヒットした「ペスよおをふれ」が巻き起こしていた”意外な犬種”ブーム
『サザエさん』を抜き去った大人気マンガ
『なかよし』は創刊号から、本誌で子役スターを起用した表紙やグラビア、絵物語(挿絵の入った子供向け小説)を掲載する形式をとり、それとは別に分厚い読み切りマンガの附録をつけました。 そして創刊3年目。1957(昭和32)年8月号から始まった「ペスよおをふれ」という連載漫画が空前の大ヒットとなるのです。当時の漫画人気調査で、「サザエさん」を抜いて3年連続トップだったというほどですから、その人気の高さがわかります。 作者の山田えいじさんは、広島生まれ。戦時中は戦艦大和の乗組員だったという経歴の日本画家で、終戦後の混乱期には紙芝居などを製作して生計を立て、上京後の1957年3月、アポなしで講談社を訪ねています。偶然にも編集部員が全員出払っていたため、牧野武朗編集長自らが対応しました。 「絵が漫画になっていない。しかし非常に伸びやかな線なので、うまく指導したらいい作品が描けるのではないか」 こう考えた牧野編集長の指導の下、山田さんは同年7月に読み切り6P作品でデビュー、同時に「ペスよおをふれ」の予告が掲載され、すぐ翌月から連載開始となりました。山田さんは、当時住んでいた田無から講談社のある護国寺までの定期を買って、3日とあけず講談社に通って原稿を持ってきたそうです。
波瀾万丈の物語といじらしすぎる白い犬
「ペスよおをふれ」は、薄幸の少女・ユリと、その愛犬・ペスの波瀾万丈の物語です。父母・病気がちの姉ルミと暮らすユリは、ある日、子犬を拾ってペスとなづけ、かわいがっていました。しかし父親が会社でのミスで10万円(昭和30年当時は大金です)の穴埋めをせねばならなくなります。 おりしも賢いペスを見た外国人の大富豪が、10万円でこの犬を売って欲しいと申し出て、夫の窮状を見かねた妻(ユリの母)は、ひそかにペスを売り渡してしまいます。姿を消したペスを案じるあまり重病になってしまったユリを見て、父と母は後悔してペスを買い戻そうとするのですが、その頃、大富豪は大阪へと居を移してしまっていました。 ユリを慕うペスは、隙を見て屋敷を飛び出し、大阪から東京へとひたすら駆けます。その首には、大富豪がつけた3000万円ものダイヤがついた豪華な首輪がはめられていたのです…。 悪人どもにさらわれたりしつつ、やっと東京でユリと再会するペス。ところが喜ぶ間もなくユリの母と姉が海難事故で亡くなり、父は精神を病んで入院してしまいます。 天涯孤独になったユリは、ペスとともに遠い山形で暮らす祖父のもとへ身を寄せるのですが、そこでさらに…とにかく、これでもかとばかりに次々ユリとペスに苦難が襲いかかるのです。謎の怪人が出てきたり、サーカスに売られたり、ペスが野犬狩りにつかまって、あわや処分ということもありました。 ユリとペスは何度も引き離され、ハラハラドキドキの展開のなか、ひたすらユリに尽くし抜く、いじらしいペスの人気はうなぎのぼりとなりました。
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