創刊70年!日本で最も長く続くマンガ雑誌『なかよし』で…最初にヒットした「ペスよおをふれ」が巻き起こしていた”意外な犬種”ブーム
最初の「全プレ」は“ペスのブローチ”だった
連載開始から2ヵ月後、編集部はペス人気を利用して、のちに『なかよし』(ライバルの『りぼん』でも)でおなじみとなる「全員プレゼント(通称“全プレ”)」を考案します。「ひとりのこらず、ペスのブローチをさしあげます」と銘打って、10月号から12月号まで3ヵ月分の切り抜き引換券を編集部に送ると、ペスのブローチが応募者に届くという仕組みです。 翌1958(昭和33)年1月号では、「あなたにペスをさしあげます かわいいスピッツが当たる大懸賞」という企画まで登場しました。特等2名に血統書つきスピッツの子犬が、200名にスピッツの人形が当たるというのです。 まさに同年、スピッツ人気は頂点に達し、JKC年間登録犬数の首位(4912頭)となりました。血統書つきの犬は非常に少ない時代で、全登録犬種の約4割がスピッツだったとされています。「ペスをさしあげます」という惹句は、読者の少女たちにとってさぞかし魅力的に思えたことでしょう。
最初の少女マンガ誌に恋愛物語はなかった
さらに「ペスよおをふれ」は、1958年8月から1959年9月までラジオ東京(現・TBSラジオ)でラジオ放送劇としても放送されました。ユリ役は、子役として人気を集めていた松島トモ子さん。彼女は『なかよし』創刊号のグラビアにも人気子役の一人として掲載されていましたから、まさにぴったりの配役でした。 当時の少女雑誌には、恋愛をテーマとした作品はありません。絵物語もマンガも「姫もの」「バレエもの」といった舞台設定や、「ペスよおをふれ」のような苦難物語が主流を占め、親子の別れと涙の再会劇も定番中の定番でした。その後、時が経つにつれて『なかよし』には、手塚治虫の「リボンの騎士」などバラエティゆたかな作品が登場していくのです。
日本最長連載マンガも犬が主人公
ちなみに、『なかよし』からは、ペスの後にもアイドル犬が誕生しました。 1976(昭和51)年新年号から始まったあべゆりこさんの「わんころべえ」は、日本最長連載マンガとして記録を更新中です。陽気なオス犬・わんころべえをめぐる4コママンガは、恋愛もの花盛りの現在、コーヒーブレイクのような役割を果たしてくれています。 また、1978(昭和53)年2月号から1982(昭和57)年まで続いた『おはよう! スパンク』(雪室俊一作・たかなししずえ画)も、1981年にテレビアニメ化されて大人気になりました。 中学2年生の愛子の前にあらわれたモフモフの野良犬スパンクは、浮き輪をつけて海水浴に行ったり、愛子に代わって授業に出たりと、かけがえのない友達として描かれています。2022年~2023年には連載開始45周年として期間限定新連載「おはよう!スパンク てくてく」が掲載され、お母さん世代を喜ばせました。 わたしたちの生活に寄り添い癒やしてくれる犬や猫は、永遠のマンガキャラクターなのだといってよいのかもしれません。 草創期の『なかよし』に読者をつなぎとめてくれた「ペスよおをふれ」は、1959(昭和34)年12月号で最終回を迎えます。 親切で裕福な女性が母代わりとなってくれ、いったんは幸せを手にしたようにも見えたユリ。しかし娘を探してはるばるやってきた実の父とすれ違ってしまったユリは、父を探して吹雪の中をさまよい、石川啄木の像の元に崩れ落ちてしまいます。薄れゆく意識の中でペスが駆けつけてくるのを目にしたユリ。 「ペス わたしがしんだら室蘭のうちをさがしてかえるのよ」 「そしてわたしがほんとにありがとうっていってたとつたえてね」 「ペス、わかった? わかったらおをふってみせてちょうだい」 この言葉が物語の最後のふきだしとなりました。 【さらに読む】『高度経済成長期の少女たちが『サインはV!』に大熱狂…!登場人物が骨肉腫で亡くなる「スポ根マンガの金字塔」は漫画家も「命がけ」だった!』
講談社資料センター
【関連記事】
- 【さらに読む】高度経済成長期の少女たちが『サインはV!』に大熱狂…!登場人物が骨肉腫で亡くなる「スポ根マンガの金字塔」は漫画家も「命がけ」だった!
- 箱根駅伝の第1回は「たった4校」しか参加していなかった…!当時の雑誌が伝える、第1回の“時代の空気”
- 「肉じゃが」はいつから「おふくろの味」になったのか…? 過去100年のレシピ本から読み解く「定番料理」の謎
- なぜ愉快のルビは「ユクワイ」なのか…100年前、出版社の校閲部員が大激論していた「字音仮名遣い」と「痛恨のミス」
- 国民雑誌『キング』誕生から100年…日本初の「100万部雑誌」はいかにして生まれたのか?そのウラにいた「宣伝マニア」の存在と「ヒットの秘密」