日本は本当に東洋なのか?――中国との関係で考える日本文化(上)
中世にはほぼ対等
たしかに古代には、日本にとって中国は圧倒的な先進文明であった。しかし鎌倉時代には吉田兼好が「唐(から)のものは薬のほかはなくても不自由あるまい」(『徒然草』)と書いている。このころ文化的文明的にはほとんど対等であったと思われる。だがそれは、日本文化の幹すなわち骨格が、漢学によって築かれたということを否定するものではない。 戦国の世に日本を訪れたイエズス会の宣教師たちは、当時の中国やインドと比較して、日本文化をきわめて優れたものと評価している。室町末期には日本文化は世界的なレベルに到達していたのではないか。また戦国大名がやりとりした手紙を見ても、この時代の日本がすぐれて文書社会であったことがうかがえる。 徳川家康が儒学を奨励した江戸時代には、藩校において武士の子弟に官学(朱子学)を教え、寺子屋において一般庶民に読み書きソロバンを教え、維新以前すでに、日本人のリテラシー(識字率)と計算能力は世界一であったといっても過言ではないようだ。
日本は日本
そして明治以後、日本はヨーロッパをモデルとして、急速な近代化を進め、日中の文明先進関係は完全に逆転した。だが現在は、経済力と軍事力のみならず、科学技術においても中国が激しく追い上げ、日中関係は再び逆転の兆しさえある。 しかしこの二つの文化の近代化には大きな違いがある。 日本の近代文明は、西欧文化に同調するかたちで形成されたもので、すでにその文化のかなりの部分が西欧に近づいているが、中国の近代文明は、あくまで海外の知見を中国文化に組み込むかたちで形成されており、むしろ世界に中国文化を拡大する態勢である。現在の日本文化の樹は、根は純日本的、幹は中国的、葉は西欧的なのだが、中国文化の樹は、根も幹も葉もすべて中国的なのだ。 こう考えてくると、日本文化が中国文化の一部であるかのように考えるのはまちがっている。『文明の衝突』を書いたS・ハンチントンが、世界の文明を七から八に分け、日本文明を西欧文明(アメリカを含む)からも中華文明からも異なる独立した文明としているのも、ある程度理解できる。 要するに日本は日本なのだ。そして中国は中国であり、アメリカ(合衆国)はアメリカなのである。 つまり「日本は本当に東洋か」という、一見荒唐無稽な問いかけも、まったく無意味なものとは思われない。 次回は、中国文化の「放射力」に対する日本文化の「圧倒的受容力」について考える。