小ボディに大エンジン:オースチン・ヒーレー3000 過去と現代が融合:トライアンフTR5 直6の英国車たち(3)
保守的な技術が傾倒された3000の直6
古いブリティッシュ・スポーツの多くが直列6気筒エンジンを搭載した理由の1つは、グレートブリテン島では入手しやすかったから。安価なスポーツカーとするには、大きな予算を割いてエンジンを新たに設計することは難しい。 【写真】直6の英国車たち アストンDB5にジャガーXK150、トライアンフTR5ほか その関連モデルも (207枚) 他の量産モデルから、ドライブトレインが流用されることは珍しくなかった。また、それ以上の気筒数を持つユニットを提供するメーカーも限られた。 オースチンとヒーレーとのコラボレーションは、2.6L直列4気筒エンジンを搭載した、1952年のオースチン・ヒーレー100から。当時、Dシリーズと呼ばれる直6も製造されていたが、元々はトラック用で大きすぎると判断されていた。 その後、オースチンを傘下にするブリティッシュ・モーター社(BMC)は、Cシリーズと呼ばれる6気筒ユニットを開発。これは、オースチン・ヒーレーのスポーツカーへ適したサイズだった。 ライバル関係にあった両社が接近した、1953年頃に開発はスタート。BMC傘下のモーリスやウーズレーで利用していた、2.2Lユニットはバルブが焼き付く悪癖があり、信頼性が求められる1950年代に好適とはいえなかった。 新しいユニットは、スチール製ブロックのロングストローク型。プッシュロッド・ヘッドなど、保守的な技術が傾倒されている。BMCは、ここで冒険しなかった。
小さなボディに大きなエンジン
1956年に、Cシリーズ・エンジンを100に搭載した100/6が登場。生産工場がロンドンの西へ位置するアビンドン・オン・テムズに移り、フロントブレーキがディスクへアップグレードされた3000は、1959年に登場する。 3000は人気を博し、改良を重ねながら1967年まで生産が続いた。今回ご登場願ったライト・ブルーとホワイトの1台は、通称BJ7。ツインキャブレターで131psを発揮する。 モデルとしては、初めて巻き上げ式のサイドウインドウを採用。開閉し易いソフトトップを獲得している。 3000は年式が新しくなるほど、ハードコアなロードスターから、コンフォートなスポーツツアラーへ進化していった。モデル末期のBJ8では、ウッドパネルがダッシュボードへ与えられている。 直6エンジンは、低回転域から強力。発進時は小石をボディに跳ね上げないよう、丁寧にクラッチを繋ぐ必要がある。クロームメッキされたシフトレバーは、コクリと気持ち良くゲートへ収まり、ステアリングはダイレクトで扱いやすい。 車高は印象的なほど低く、優れたグリップ力で鋭くコーナーを巡れる。同時に、小さなボディへ大きなエンジンを押し込んだような、ワイルドさも匂わせる。 旋回中にアクセルペダルを踏み込むと、アンダーステア。さらに気張ると、リアが流れ出す。素早く流暢にラインを辿るには、ブレーキを引きずりながら侵入し、アクセル加減を探る必要がある。リズム感と技術が必要になる。