「水ダウ」と「新宿野戦病院」。新型コロナパンデミックの「ナラティブ」の描き方【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
■どうやって「感染症の記憶」をフィクションに落とし込むか? このテレビドラマを見て、感染症の場合には、フィクション(創作物)の「ナラティブ」を通して「教訓」を生む、という方法があることに気づいた。そもそもにして、小説『復活の日』(小松左京・著)や漫画『20世紀少年』(浦沢直樹・作)などから明らかなように、「パンデミック」や「感染症」というトピックは、フィクションと相性が良いのである。 新型コロナを題材にするにしても、それの何をどう扱うかはセンス次第。新型コロナパンデミックという出来事そのものがアンタッチャブルなのではなく、それをどう扱っていくのかが、これからメディアに問われていくところなのだと私は感じた。 多くの人たちの思いをひとつにして、新型コロナパンデミックの記憶をつむぐ「ナラティブ」として機能し、後世に残る「教訓」を生み出す――。これからも、そんなフィクションが生まれることを心待ちにしたいと思う。 文/佐藤 佳 イラスト/PIXTA