【独自取材】「藤井聡太さんしか見ていない」王座戦・挑戦者 永瀬九段が語る ”尊敬する棋士”藤井七冠への想い「人生は年齢ではないことを、間近で見せてくれる存在」一人称を”私”に変更したその理由…
尊敬する棋士・藤井聡太七冠
今年6月、まさに世間が『藤井聡太竜王・名人が失冠か?』と注目していた叡王戦第5局が始まる頃、筆者は”藤井竜王・名人”、”伊藤匠七段(当時)”とVSをする唯一の棋士・永瀬拓矢九段にインタビューを打診した。藤井竜王・名人がVSを行う相手が、“永瀬九段のみ”ということもひとつの理由だ。 多忙の中、なんと快く永瀬九段は1時間超のロングインタビューに答えてくれたのだ。 まず、聞きたかったのは、藤井竜王・名人とのVS(練習将棋)についてだ。 2024年7月22日の王座戦挑戦者決定記者会見にて、「最近、藤井さんと将棋を教えて頂いても、五分の成績にはなってきたので、一番良い状態ではないと思います、藤井さんが」と話していた永瀬九段。
VSを行う場所としては、永瀬九段の東京の研究室か名古屋の杉本昌隆八段の研究室がほとんどだというが、東京で行われたことは10回にも満たないと話し、圧倒的に名古屋の方が多いことを明かした。 交通費や移動時間などを犠牲にしても、藤井竜王・名人と将棋を指しに、名古屋まで行く価値というのは十分あるのだという。 「教えて頂くから名古屋に行くのも別に遠いとは感じないですし、行って損したと思ったことはないです」「それだけすごい存在で、タイトルを独占される前からそう思っていました」と、藤井七冠への思いを話す永瀬九段。 続けて、「価値だと名古屋に行くわけですけど往復移動時間だけで、4時間ぐらいだと思うんですけどそれが全然問題ないと思えます。例えば藤井さんは名古屋なわけですけど、名古屋じゃなくて仮に北海道や沖縄であっても自分は変わらないかなと。それだけの時間をかける価値もありますし、労力をかける価値もあります」「これ(藤井さんとのVS)に見合うものがないと思うので、それだけ自分としてはすごい価値がある」と語った。
藤井七冠と同じ“一人称”に変更
取材では、藤井竜王・名人と伊藤新叡王の二人について、まんべんなく話を聞いていったが、藤井竜王・名人について語りはじめると永瀬九段は止まらない。 伊藤新叡王については、1聞くと1で返ってくるのに対し、藤井竜王・名人は1聞くと100ぐらいで返ってくる。その熱量の様子を、永瀬九段のインタビュー時の返答とともに紹介したいと思う。 『藤井竜王・名人とのVS(練習将棋)はどんな価値がありますか?』という筆者の質問に対して、永瀬九段はこう答えた。 「将棋も指すワケなんですけど、それ以外で藤井さんの考え方一つ一つは自分にとって、人生の模範になるというかこうありたいこうしたい、これを取り入れたいとか、そういう考え方もできるのでやっぱり藤井さんに接することで、得られるモノは自分は計りきれないほど多くありますね」 「すごいんですよ、謙虚さが。あれだけずば抜けて強い立場ではあると思うんですけど、自分と出会った時から変わっていないんですよね」 「ちょっと成長して立場が上になってくると話し方が変わる方いらっしゃるんですよ。藤井さんはまったく変わらなくてですね。最近変わったなと思ったのは、(自分のことを)“私”というようになったんですよ、“自分”じゃなくて」 「自分という言い方をよくしていたんですけど、藤井さんが私というようになって、そうか、じゃあしょうがないかなと思って、(自身も)“私”というようにしています」 「それは立場があって“自分は”という言い方は、あれかなということで考えられて(と思う)。それは悪いことではなくて、藤井さんなりの配慮だと思う」 「なので藤井さんが私と呼ぶのであれば、私と言わないといけないなと思っているわけですけど、藤井さんは出会った頃からなにもかわらなくて、技術とか立場が上がっても、謙虚さが失われないのは人間性なのかすごいことだと思います」 「将棋以外の話はほとんどないんですけどちょっと離れたとき、将棋以外の話をしたときに、ああこういう考え方があるんだすごいなというのも多いです」 以上だ。 将棋を指す以上に、藤井竜王・名人と話すことで、考え方など様々なことを得たいと話した永瀬九段。そのひとつとして取り入れたのが、”私”という一人称だった。 そこで筆者は、藤井竜王・名人の一人称の変化を独自に調べてみた。 ◎2021年11月 四冠達成時会見より 「昇竜というのは、竜がさらに勢いよくのぼっていくということで、”自分”もそのように上を向いて志していけるようにという意味を込めた」 ◎2022年2月 五冠達成時会見より 「過去に五冠になられた方は、本当に時代を築いた偉大な棋士の方ばかりなので光栄に思います。”自分”の場合はまだまだその立場に見合った実力が足りないかなと思うので、今後実力をつけていく必要があるかなと思う」 ◎2023年3月 六冠達成時会見より 「本当に良い結果につなげられて、”自分”としては少し驚きというところもあるが、嬉しく思っているところです」 ◎2023年6月 七冠達成時会見より 「谷川先生の言葉は”自分”ももちろん知っていましたし、”私”自身タイトル戦の対局に臨む上では、挑戦者の気持ちで臨みたいと思っている」 ◎2023年8月 王座挑戦時会見より 「永瀬王座には”私”が四段の頃に声をかけて頂いて、それ以来研究会をやっていただいていて、”私”にとって勉強になることばかりですごくそれで”自分”の棋力が引き上げられたのかなと感じています」 「今回大きな舞台で永瀬王座と対戦できるのは、”自分”にとっても楽しみです」 ◎2023年10月 八冠達成後会見より 「”私”自身こちらで対局するのは初めてだったんですけど、京都は”私”自身もなじみ深いところですので、そういうところで(八冠)達成できたのはうれしく思っています」 「”私”自身勝ったときにご褒美をということはあまり考えていなくて・・・」 筆者調べではあるが、歴史あるタイトル”名人”を獲得したあたりから、”私”と”自分”が混在しはじめ、全タイトル独占し、第1人者となり”私”に統一していったようだ。