『小倉百人一首』の撰者・権中納言定家の百人一首「来ぬ人を~」の意味や背景とは?|藤原定家の有名な和歌を解説【百人一首入門】
権中納言定家(ごんちゅうなごんさだいえ)は、平安末期の大歌人・藤原俊成(ふじわらのとしなり、もしくは、しゅんぜい)の子で、藤原定家(ふじわらのさだいえ、もしくは、ていか)ともいいます。『新古今集』『新勅撰集』の撰者として有名ですが、何よりこの『小倉百人一首』の撰者として知られています。 写真はこちらから→『小倉百人一首』の撰者・権中納言定家の百人一首「来ぬ人を~」の意味や背景とは? 俊成が確立した高尚で優美な「幽玄(ゆうげん)」を、思慮・分別の深い「有心体(うしんたい)」という表現スタイルに深化させました。定家は、古典文学の研究者でもあり『源氏物語』や『更級日記』、『伊勢物語』など、多くの平安時代の作品を書き写したといわれています。
権中納言定家の百人一首「来ぬ人を~」の全文と現代語訳
来(こ)ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩(もしお)の 身もこがれつつ 【現代語訳】 どんなに待っても来ない人を待ち続け、松帆の浦の夕なぎのころに焼く藻塩のように、私の身も恋焦がれていることだ。 『新勅撰集』 恋三 八四九に収められています。男である定家が、いつまで待っても訪ねて来ない恋人を待ち焦がれる女の立場で詠んだ歌です。 「来」は、カ変動詞「来(く)」の未然形ですから「こ」と読みます。「ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形で、「来ない人を~」となります。「まつほの浦」の「まつ」は、「(来ぬ人を)待つ」と「松帆の浦(淡路島の最先端)」の「松」との掛詞(かけことば)になっています。 そして、「まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の」までが、「こがれ」を導きだす序詞となっています。「藻塩」は海藻から採る塩のことです。「焼く」「藻塩」と「こがれ」は縁語で、「身もこがれつつ」は恋焦がれるという意味に、藻塩が焦げる意味を掛けています。 このように様々な技巧を凝らしていますが、さらに『万葉集』に収められている 「名寸隅(なきすみ)の 舟瀬ゆ見ゆる 淡路島松帆の浦に 朝なぎに 玉藻(たまも)刈りつつ夕なぎに藻塩焼きつつ 海人娘人(あまをとめ)ありとは聞けど 見に行かむ よしのなければ… 」 【現代語訳】 名寸隅の船着き場から見える淡路島の松帆の浦に朝凪には玉藻を刈りとり 夕凪には藻塩を焼く海人の乙女がいると聞くけれど見に行くすべがないので という歌を本歌とする、本歌取りです。いつまでたっても来ることのない人を待ちわびながら、身も心も焦がれる様子を、夕暮れ時の静かな海岸の風景に重ね合わせたものです。まつほの浦で焼かれる藻塩の様子が、自身の焦がれる心情と巧みに重ねられており、そのやるせなさや苛立ち、美しさが融合しています。