齋藤知事の「公職選挙法違反」疑惑に筆者が覚えた「違和感」…そもそもの「落とし穴」
政治家の責任にするだけではダメ
次に、現在のあまりに細かく厳しい、選挙や政治資金のルールを政治家に完全に理解させて、しかも周囲の管理責任まで、まさに一身に背負わせることも、さすがに無茶な状況になっているのではないかという点。これが2つ目の問題意識だ。 政治家を甘やかすようなことを言うなと思われるかもしれない。だが、そう思われる方は、民間企業などの法令遵守のための取組と比較してみてほしい。よほどの零細企業ならともかく、それなりの規模の企業であれば、社内で法令遵守に向けた組織や体制を作り、時には外部の専門職(士業など)を含め、多くの人がかかわる時代だ。 それと比べると、政治分野での法令遵守は、組織や体制の面からみてもあまりに脆弱で、心もとない状況が放置されている。もはや、足を踏み外した政治家の責任にするだけではダメで、法令遵守の体制構築を議論すべき時期ではないだろうか。 本稿では、そんな筆者の2つの問題意識を明らかにし、現行の公職選挙法や政治資金規正法に規定されたルールがすべて絶対に正しい、と思考停止に陥らないよう、よりよい政治の仕組みはどのようなものかを考えるべく、前後編の2回に分けて問題提起を行ってみたい。 現行の公職選挙法によるルールに疑問がわく、わかりやすい例をひとつ挙げよう。 冒頭で、岸田前総理に「違反の疑いあり」と指摘した事前運動の禁止(ある選挙の告示前に、その選挙での当選を目的として、有権者に対して投票を促す行動をしてはならない)だ。これは、本来、告示日から「ヨーイドン」でスタートすべき選挙活動のフライングを禁止するという意味で、公平な選挙運動を担保するためのルールである。 選挙活動にはカネも時間も人手も必要だから、これを規制しなければ、カネのある人は、ある選挙が終わった直後から、何年後かの選挙に向けて、大規模に「次の選挙はヨロシク」と活動し続けかねない。そう思えば、まあ確かに必要な規制といえなくもない。