昭和天皇は自らの戦争責任をどう考えていたのか 「責任を取って退位するなどと考えていないことは明らか」
イギリス王と王室に対する深い尊崇と憧れ
やはり、昭和天皇の心の中で強かったのは、皇室存続への思いの方だったことがうかがわれる。事実、戦争末期では、皇室維持、国体護持にこだわった。もちろん国体護持イコール当時の日本の在り方の維持でもあった。 全体として強い印象が残るのは、昭和天皇のイギリス王と王室に対する深い尊崇と憧れの念だ。イギリスをモデルとして天皇の在り方と皇室を少しでも近づけようと努力しようと決意している。 天皇が終始戦争に反対したことはよく知られているが、この記録は昭和天皇が反対した理由の一端をも推測させる。つまり、戦争によって、自分をイギリスに招き、スコットランド旅行もさせてくれた、敬愛するイギリス王と王室との仲を壊すことになるということだ。 宣戦の詔書を書いていたとき、昭和天皇の脳裏をよぎったのは、イギリス王と王室の面々の顔と、楽しかったスコットランド旅行の思い出の場面だったのかもしれない。 以上述べてきたように、キラーン文書は、“昭和天皇自身の戦争責任論”や“皇室存続への思い”“イギリス王室への憧れ”といった、これまで明らかになっていなかった点を浮かび上がらせている。 有馬哲夫(ありまてつお) 早稲田大学名誉教授。1953年生まれ。早稲田大学卒。東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得。メリーランド大学、オックスフォード大学などで客員教授を歴任。著書に『歴史問題の正解』『NHK受信料の研究』など。 「週刊新潮」2024年8月29日号 掲載
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