【特集】あの日避難所では何が起きていた…課題と教訓 中越地震から20年「自分でできる事は自分で」≪新潟≫
中越地震では600か所以上の避難所に、一時、10万人もの避難者が身を寄せました。 過酷な状況の中、支援に奔走したのが自治体の職員…… 語られる当時の経験からは、いまなお続く避難所の課題が浮かび上がります。 【動画】あの日、避難所では何が起きていた…課題と教訓 中越地震から20年「自分でできる事は自分で」
「20年前、避難所だった」
この場所に来ると20年経った今でもあの日のことを思い出します。 ≪記者≫ 「皆さん地べたに寝ていたんですよね」 ≪前小千谷市長 大塚昇一さん≫ 「はい、そうです。ほとんど毛布1枚で寝ていた方が多いと思います」 ≪記者≫ 「けっこう冷たさが伝わりますね」 ≪前小千谷市長 大塚昇一さん≫ 「冷たいですね」 中越地震で避難所となった 小千谷市の総合体育館です。 あの日、市の職員として被災者支援に奔走した前市長の大塚昇一さん。 ≪前小千谷市長 大塚昇一さん≫ 「本当にここに3,000人の方々が寝泊まりしていたという。信じられない。だけどそれが大規模災害になると現実になる、そういうことですよ」
小千谷市震度6強
2004年10月。 震源にほど近い小千谷市では震度6強を観測多くの建物が倒壊しました。 地割れや土砂崩れも頻発し、集落の孤立が相次ぐなど市内全域にわたり壊滅的な被害が発生…… 一時、およそ2万9000人……市の人口の7割が避難を余儀なくされました。
3,000人を収容「小千谷市総合体育館」
総合体育館は市の指定避難所として最大3,000人を収容。 当時の映像をみると、体育館の中は多くの人であふれかえっています。 さらに、取材中には震度5強の余震が…… ≪須山司アナ(当時)≫ 「こちらの方ではどういった対応が必要になってきますかね。またいま揺れていますね。いまこれかなり強いですよ。きょう感じた余震の中では一番大きかった余震ではないかと思います。いま私も立っているのが辛くなるぐらい……」 不安そうな人々の姿がそこにありました。
冷たい床 寝返り打てず
災害から身を守るため一時的に身を寄せる避難所……当時の様子を再現した場所に案内してもらいました。 実際に座ってみると…… ≪記者≫ 「思った以上に狭いですね。これで1人ですか?」 ≪前小千谷市長 大塚昇一さん≫ 「1人じゃないです。ここで大体3人ぐらい」 ≪記者≫ 「3人ぐらい!?」 冷たい床……。 一度寝たら寝返りを打つのもままならない環境……。 体調を崩す高齢者も少なくありませんでした。 空いた場所の奪い合い、物資の盗難など様々なトラブルも起きました。 総合体育館に3,000人もの人が集中した理由の一つが避難所の被災です。 地震の前、市は64の施設を避難所に指定していました。 しかし、半数の避難所が被災し使えない状態に……。 一方、市内では指定避難所に行けない人々が自主的に避難所を開設する動きも多く見られ、市内には最大136の避難所が開所。 さらに余震を恐れ、車中泊を続ける避難者も…… 血液の流れが悪くなり血栓ができる病気「エコノミークラス症候群」が問題となりました。