没後20年 生き続けているセナ伝説
昨年11月に開催されたブラジルGPへ取材に行ったときのことである。街中でタクシーに乗って移動していたとき、運転手さんにアイルトン・セナ のことを尋ねると「あの方はとてもいい人でした」と、ブラジル国民にセナがいかに愛されていたかをしみじみと語ってくれたものである。 F1ドライバーに限らず、スポーツ選手がスーバースターとなる条件のひとつに、スポーツ選手の枠を超えた人気がある。80年代後半から90年代 前半にかけてのセナが、まさにそうだった。 88年に初めてワールドチャンピオンに輝いたセナはその後、90年と91年にも連覇し、通算3度タイトルを獲得した名チャンピオンである。しか し、主要な記録においては何一つ、頂点に君臨しているものはない。チャンピオン獲得回数は、ミハエル・シューマッハ(7回)、ファン・マヌエル・ ファンジオ(5回)、アラン・プロストとセバスチャン・ベッテル(ともに4回)に次ぐ5位タイ。41回の優勝回数もシューマッハの91勝、プロス トの51勝に続く歴代3位。通算65回を獲得し、セナの代名詞と言われたポールポジション(予選1位)も、セナの死後、シューマッハに塗り替えられた。 にも関わらず、セナは歴代の名王者や記録保持者にも負けないほど、多くのファンに支持され、壮絶な死を遂げた94年から20年が経とうとしてい るいまも、多くの人々から愛され続けている。その理由は、セナはさまざまな困難を乗り越えて、不可能を可能にしてきたからである。 その代表ともいえるのが、89年のプロストとの確執である。マクラーレンでチームメート同士だったセナとプロスト。しかし、チャンピオンを目指 した2人はいつしかライバルとなり、最終的にはコース上で衝突し合うほど関係が悪化した。このとき、プロストの味方につけたのが同じフランス人で 当時FIA(世界自動車連盟)の会長を務めていたバレストルだった。不可解な裁定を受けても、自分の主張を変えずに戦い抜いたセナは、89年のタイトルを失った代わりに、世界中のファンのハートをつかんだのである。