没後20年 生き続けているセナ伝説
プロストやFIAとの戦い以外にも、セナは苦境に立たされながら、つねにそれを跳ね退けてきた。語り継がれるのは、91年ブラジルGPだ。この レースでセナはトップを走行していたが、終盤にギアボックスのトラブルに見舞われ、6速以外は使えない状態となってしまった。ブラジルGPの舞台 とであるインテルラゴス・サーキットは、低速コーナーがあるだけでなく、上り坂もあるため、6速だけで走るのは不可能だと思われた。しかし、セナ は最後まであきらめることなく走りきり、トップでチェッカーフラッグを受けた。 シフトダウンができなかったため、減速はストレートエンドでのブレーキングだけとなっていたため、減速時のGファースも大きく、ブレーキのたび にシートベルトがセナの体を締め付けたという。そのため、チェッカーフラッグを受けた後、セナの体は血行障害に見舞われ、両腕に力が入らない状態 となり、ウイニングランもできず、マシンを途中で止めてしまうほどだった。そこまで限界で走り続けたドライバーはセナ以外にはいなかった。 91年のブラジルGPだけではない。92年のモナコGP、93年のヨーロッパGPなど、セナには勝利の数よりも、記憶に残る名レースが幾多も存 在する。それがセナを特別な存在としている理由である。 1994年5月1日から20年が経とうとしているいまも、多くの人たちがセナを神のように愛しているもうひとつの理由がある。それは、その最期 があまりにも壮絶だったため、神格化されたことである。 セナはいまから20年前のサンマリノGPのレース中に命を落とした。レース中の事故死は1982年のリカルド・パレッティ以来12年ぶりのこ と。しかも、ポールポジションからスタートして、トップを走行したまま、テレビの前で天国へ旅立ったF1ドライバーはセナが最初で最後だった。 チャンピオンドライバーの衝撃的な事故死を重く見たFIAは、すぐさま対応を協議。エンジンパワーやダウンフォース(空気の力でマシンを地面に押 し付ける力)を落とすような改革を次々に断行した。その後もFIAは安全性を高めるレギュレーション変更を継続。セナの死後、20年間、F1での 死亡事故は一度も起きなかった。