反捕鯨団体シーシェパードの過激テロ!調査船に侵入した活動家が「日本最高」と喜んだワケ
● グリーンピースを飛び出した シーシェパードの過激テロ活動 日新丸には、反捕鯨団体の妨害活動に抵抗した名残が残っていた。 放水砲用大型海水ポンプ。 ブリッジ後方左手の上部に設けられた8つのボタンを押し、妨害する船に放水して抵抗したのである。 グリーンピースは調査捕鯨開始とほぼ同時に、南極海で妨害をスタートさせた。 「グリーンピースは我々の船についてきて、水をかけてくるくらい。大変は大変でしたけど、暴力を行使してくることはありませんでしたから、さほどではなかった」 阿部は「問題はシーシェパードでした」と続けた。 シーシェパードはグリーンピースを脱退したポール・ワトソンが設立した団体で、2007年から妨害を開始する。グリーンピースに比べて、シーシェパードの活動は常軌を逸していた。 調査船団に対し、失明の恐れがある酪酸が入った瓶や発煙筒を投げつけたり、ワイヤーをスクリューに絡ませたりする妨害を繰り返した。 2008年1月15日には、2人の活動家が第二勇新丸に侵入する事件が起きた。2日後にオーストラリアの船に引き渡すまで2人を監視した船員がこんな話をしてくれた。 「ヒマそうだったから、『もののけ姫』のDVDを貸してあげたんですよ。そしたら『日本最高』と喜んでいましたよ」
さらに2010年1月、シーシェパードの抗議船アディ・ギル号が、調査船団の第二昭南丸に衝突し、沈没する。1ヵ月後、アディ・ギル号の船長が第二昭南丸に抗議のために乗り込んできて、船員たちによって拘束される。 帰港後、アディ・ギル号の船長は艦船侵入の容疑で逮捕された。阿部は言う。 「船をぶつけてくる、というのは船乗りとして尋常じゃないんですよ。ふつうの考えでは絶対にありえない。だって、沈んだら死ぬんですよ。あんな冷たい海で沈んだら、どっちかが必ず死ぬ。彼らとは絶対に理解し合えない」 ● 捕獲数の爆発的な増加が シーシェパードを刺激した 憤りがよみがえったのか。阿部は「ありえない」と再び語気を強めたあと「ただ」と継いだ。 「2005年から捕獲数を爆発的に増やしたでしょう。日本の捕鯨政策がシーシェパードを刺激した側面もあったと思うんです」 その指摘には、妨害活動の変遷を身をもって実感したからこその説得力があった。 南極海の調査捕鯨は1987年から2004年までの第1次と、そのあと10年続いた第2次に分けられる。 第1次で捕獲した南極海のクロミンククジラは、最大で年間440頭。 第1次について、阿部は「グリーンピースは反対するけど『まあそれくらいはいいんじゃないの』と容認しているような雰囲気だった」と感じていた。