【陸上】北京世界選手権代表・小原怜が天満屋陸上部を退部「感謝の気持ちでいっぱい」
天満屋は6月26日、所属する小原怜が6月末をもって陸上部を退部することを発表した。 小原怜のマラソン全成績をチェック 小原は1990年生まれの33歳。岡山・倉敷西中から陸上を始め、当初は800mの選手として活躍。興譲館高1年時の06年兵庫国体では少年B800mで2位となり、全国初入賞を果たしている。さらに、同年の全国高校駅伝では4区を務め、2学年上の高島由香(現・資生堂)らとともに準優勝に貢献。2年目からは徐々に距離を延ばし、インターハイ800m3位、1500m4位と2種目に入賞した。 3年ではインターハイ1500m3位に入ったほか、秋の国体5000mに優勝。冬の全国高校駅伝では1区で区間賞を獲得し、同世代の長距離をリードするランナーへと成長したほか、高校2年で世界ユース選手権、高3には世界ジュニア選手権に日本代表として出場した。 高校卒業後は地元の天満屋に入社。入社2年目には全日本実業団対抗女子駅伝のチーム初Vのメンバーとして名を連ねると、翌年にアジア選手権1500m、5000mともに7位入賞を果たす。15年には日本選手権10000mで3位となり、同年の北京世界選手権に出場している。 マラソンは2度目の挑戦となった16年名古屋ウィメンズで2時間23分20秒をマークしたものの、田中智美(第一生命グループ)に1秒差で敗れ、リオ五輪代表を逃した。その後、19年大阪国際女子でも2時間25分46秒で日本人トップの2位に入るなどしたが、同年のMGCでは2位の鈴木亜由子(日本郵政グループ)と4秒差の3位に止まり、東京五輪代表を射止めることはできなかった。 20年以降は故障なども重なり、21年の名古屋ウィメンズでは2時間32分03秒で18位となってからは、主要な大会から遠ざかってた。 小原は退部にあたり「なかなか思うように結果を出せない時も、声をかけて頂いたり、お手紙を下さった方々に大きく背中を押され、頑張ろうと前を向くことができました。感謝の気持ちでいっぱいです」とコメント。今後は天満屋に残り、さまざまな業務に挑戦することも発表され、「これからも自分をつくってくれた陸上競技に貢献したいと思っております」と綴っている。
月陸編集部