大阪難読地名「遠里小野」「淡輪」「蕎原」読めまっか?
大阪の難読地名を楽しむ第4弾は、同府南部の泉州を歩き回ってみた。母を助けたカリスマ宗教家伝説、読めそうで読めない小さな変化球町名、似通った町名が記憶する河川大改修の記憶。読みにくさの向こうから、味わい深い物語が垣間見えてくる。それでは、南海電車に乗って出発進行。
学生たちが駆け抜ける「岸城町」
白壁が映える天守閣を、こけむした石垣が守り続ける古城。隣接する府立高の生徒らが、堀端の並木道を駆け抜けていく。青春ドラマのワンシーンのような情景に出合うのは、岸和田市中心部の「岸城町」。「きしきちょう」と読む。 岸和田城とその周辺の地域を指す。楠木正成一党の和田氏が、岸と呼ばれていた要衝の地に城を構えたため、ご当地が「岸和田」と呼ばれるようになったという。「筋海町(すじかいちょう)」「並松町(なんまつちょう)」かいわいも、城下町の面影を残す。 同市内内陸部の地名に目を向けると、難読難易度がはね上がる。「作才町(ざくざいちょう)」「包近町(かねちかちょう)」「神於町(こうのちょう)」「河合町(かあいちょう)」「山直中町(やまだいなかちょう)」。正しく読める町名が、いくつあるだろうか。
親孝行伝説が地名に結び付いた「孝子」
南海本線大阪府最南端の「孝子」駅が、開業100周年を迎えた。孝子は岬町の地名で、「きょうし」と読む。一説によると、修験道の開祖役小角が、母に代わって捕縛された親孝行伝説が地名に結び付いた。 これまでの難読地名特集で、大阪市営地下鉄「喜連瓜破(きれうりわり)」駅の「空海とウリ伝説」(第1弾)、水間鉄道「清児(せちご)」駅の「行基と幼児道案内伝説」(第2弾)をリポートした。 この岬町の親孝行伝説で、空海、行基、役小角という古代カリスマ宗教家のそろい踏みとなった。生き抜くこと自体困難だった時代、宗教家たちが民衆の救いの糧となっていた様子がうかがえる。
ぱっと見で読まれへん「淡輪」「深日町」
岬町には他にも南海本線「淡輪(たんのわ)」、南海多奈川線「深日町(ふけちょう)」「深日港(ふけこう)」という難読駅名がある。南海各駅では駅名は漢字よりもひらがなを大きく表記しているため、読みにくさは全く感じさせない。半面、駅名の難読解明にトライするチャンスが少ない分だけ、難読地名ファンにはやや物足りないかもしれない。 阪南市の「自然田」は「じねんだ」。「山中渓(やまなかだに)」へは新緑の季節、ハイキングで訪れたい。泉南市の「信達(しんだち)大苗代(おのしろ)」も手強い難読地名だ。 熊取町の「小垣内」の読み方は「おがいと」。難読地名特集第3弾に登場した枚方市の「大垣内町(おおがいとちょう)」と通じ合う。垣内とは防衛用の堀を張り巡らせた中世の環濠集落を示す。親から子へ孫へ、日々の暮らしが連綿と続く。 貝塚市の「蕎原」は「そぶら」。字の通り、そばの名産地だった。「神前(こうざき)」「秬谷(きびたに)」も難易度が高い。 泉大津市の「夕凪町(ゆうなぎちょう)」の夕凪は、風が止んだ穏やかな日暮れどきの意味合い。現在は太陽光を活用するソーラー発電所が広大な埋め立て地に建設され、同市内の6軒に1軒に相当する5700軒分の年間消費電力をまかなう。 「伯太町(はかたちょう)」「南面利町(なめりちょう)」「納花町(のうけちょう)」は和泉市の難解地名。小さく曲がる変化球のように、わずかな読みの変異ながら、シンをとらえて正確に読み切るのは、そうたやすくない。