歌旅 いしだあゆみ 「ブルー・ライト・ヨコハマ」の喚起力 中西康夫
いしだあゆみはそれまでビクターから4年間で23枚のシングルをリリースしていたのだが、テレビや他の仕事が忙しくて宣伝活動をほとんど行えなかった。5万枚くらいの売り上げが最高で、歌手としてのイメージはあまりなかった。そこで、「歌手・いしだあゆみ」を打ち出すためにコロムビアに移籍。プロデュースを橋本淳と筒美京平のコンビが担い、3作品目が大ヒット「ブルー・ライト・ヨコハマ」となった。 この曲がリリースされたのは1968年12月25日だ。文化でも政治でも、新たな激しい潮流が起こりつつある時期である。いしだは20歳。年齢的には若くしての大ヒットだが、これは26枚目のシングルだった。いしだあゆみは大ヒットを携えて、翌年の大晦日(おおみそか)、NHK紅白歌合戦初出場に向けて邁進(まいしん)していく。 ◇港の見える丘公園とカンヌの夜景 横浜と言えば、中華街を筆頭とする異文化圏が多くあること、そして港なので海だ。ところが歌詞には、想像するような横浜はどこにもない。男女2人の恋の様子が描かれているだけで、情景描写は「ブルー・ライト」のみ。「街の灯り」という歌い出しとあいまって、夜が歌われていることが分かる程度だ。横浜の歴史を遡(さかのぼ)ると、海との縁が切っても切れない街なのに、それがどこにも出てこない。でも、「ブルー・ライト」とは海が照らされて光る色なのかも知れない。 橋本淳は、港の見える丘公園から見た夜景と、フランス・カンヌの夜景を重ね合わせて詞を書いたそうだが、なぜか私には、夜の山下公園から見える波止場が浮かんでくる。中華街での食べ歩きの後や、コンサートや野球を観た帰り、余韻に浸りながら山下公園を歩く個人的な思い出が多いせいかもしれない。その時、頭の中にはこの歌が流れていた。具体的な情景描写がなくとも、いやないからこそ、個人的な記憶が曲のイメージを深めていく。これは流行歌の醍醐味(だいごみ)だろう。