「売れる物を追求したとき、作家性はあるのか」 京都の一流織物企業の挑戦、かわいいミッフィーへの「躍動と解放」とは
◆もっと「アート」に振ってもいい
─各代の平藏の仕事をどのように見ていますか。また、「変えてはいけない」と思うのはどの部分でしょうか 二代から四代の平藏は、初代を超えようとしたけれど超えられなかったと思っています。 次は私が初代を超えられるかどうか。 帯でいえば、100年売れ続けるベストセラーがあるのですが、それを超えられれば、初代を超えたといえるのかもしれません。 また初代は、帯をやりつつ美術品の復元や緞帳、航空機のシートなどの事業を展開しました。 私はそこを非常に尊敬しています。 二代から四代までは帯に戻ってしまって、ほかの事業を継続していたものの、次の一手はなかった。 生意気かもしれませんが、ダイナミックさに欠けていたし、経営者としても、ものづくりの観点からも、新しさがなかったと思うのです。 「美術織物」ですから、今後はもっとアートに振っていきたい。 そのためにも、古代裂の復元は必ず続けていきたいですね。 昔の織物を探究することで新しい発見があり、現代の人の心を豊かにする織物や、多様な表現ができます。 また、自社でデザインから納品まで手掛けるものづくりの体制も、変えてはいけない部分です。 ─アートの事業展開としては、どんな可能性があるのでしょうか 一つはアートパネルです。 いくつかの海外のハイブランドから関心を示され、実際に京都の百貨店でも、フランスのハイブランドの内装に弊社の織物が使われています。 わざわざ工場に見学に来られました。 こちらからはフランスの人が好みそうな洗練された図案を提案したのですが、全部はねられ、その辺に置いてあった帯の試し切れを「これがいいわ」と。 日本らしい松の柄でした。 そう考えると、「龍村はこうあるべき」は、ある意味当たっているかもしれません。 色や糸は変えましたが、構図を変える必要はなかった。 日本のデザインは海外の人から見れば新鮮でしょうし、ハイブランドのパネル一つにも、変えるべきものと変えざるべきものが共存しています。 もう一つ、違ったジャンルの作家や職人と組み、織物の良さを引き出せるような商品をアートとして売っていく新しい試みも始めています。 ガラスや陶器などの異素材と組み合わせたり、デザインとして、和装の柄を活用してもらったり。 さまざまな作品があります。