クロマティ氏への“頭を指さす”挑発返し「チャンスがあればやろうと思っていた」大洋のエース・遠藤一彦氏 アキレス腱断裂も開幕投手を諦めきれず…
現役引退を決断した恩師からのひと言
1992年に先発に復帰した遠藤氏は、3勝2敗の成績でシーズンを終え、この年を最後に現役を引退した。翌年からチーム名が横浜ベイスターズに変わることが決まっており、横浜大洋ホエールズとしての最後の年でもあった。 遠藤: 先発として3勝できたもんですから、「もう1年できるかな」と思ってたんですけど、最後の横浜での阪神戦で、フロントのスタッフに呼ばれて、「来年の契約はしないから」って言われたんです。 本当は阪神戦の2戦目に投げる予定だったんですよ。でも、そんな気持ちで行ってもね…。 徳光: そうでしょうね。 遠藤: ですから、ブルペンに飛んでいって、小谷(正勝)コーチに、「実はこういう宣告をされたんですけど」って伝えたら、「関根さんに相談してみたらどうだ」って言ってくれたんですよ。 徳光: まだやれるという気持ちがありながら、関根さんのところに行くわけですね。 遠藤: 「実はこうで、こうで」と説明すると、「そっか。じゃあ辞めろ」と。これだけ言われた。投手交代のときの「代われ」と一緒ですよね。「『横浜大洋の遠藤』でいいじゃないか、もう辞めろ」というひと言をもらって、「分かりました。じゃあ辞めます」ってなりました。 徳光: そうか。「(横浜ベイスターズの遠藤ではなく)横浜大洋ホエールズの遠藤でいいじゃないか」と。それもいい言葉ですね。決断の気持ちになりますよね。 遠藤: そうですね、はい。
引退試合で引き継がれた“エースの系譜”
遠藤氏の引退試合は1992年10月7日に横浜スタジアムで行われた巨人戦だった。横浜大洋ホエールズとしての最後の公式戦で遠藤氏は先発のマウンドに上がり、2イニングを無失点に抑えた。 この試合で3番手ピッチャーとして登板したのは、後に横浜ベイスターズのエースとなる三浦大輔氏。高卒ルーキー1年目で初めてのマウンドだった。 徳光: 引退試合では、よく打たれていた原さんを…。 遠藤: センターフライですね。ちょっとヒヤッとしたんですけど。 徳光: (笑)そうですね。 遠藤: 三振しろよと思いましたけどね(笑)。 徳光: すてきな引退試合でしたよね。この試合で7回から高卒1年目のルーキー、三浦大輔投手が初登板、リーゼントじゃないですよね(笑)。 遠藤: 普通に坊主頭でしたね。 徳光: これも運命的ですよね。三浦さんとは何か会話された記憶はありますか。 遠藤: ほとんどないです。行くときに「頑張れ」、帰ってきて「ナイスピッチング」。 徳光: それに対して三浦さんは。 遠藤: いや、別に何もないですね。「ありがとうございます」みたいな感じです。 もう、大ベテランとルーキーですから、向こうからすると、私と平松さんみたいな…。 徳光: それがホエールズとしての最後の試合。 遠藤: 最後の試合ですね。そういう面では、一つのいい時代を過ごせたなとは思いますね。プロ野球人生としては、自分なりに満足した15年を送れたなと思ってます。 徳光: プロ野球人としての最高の1ページだったということですね。 遠藤: はい。 (BSフジ「プロ野球レジェン堂」 24/8/27より)
プロ野球レジェン堂
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