クロマティ氏への“頭を指さす”挑発返し「チャンスがあればやろうと思っていた」大洋のエース・遠藤一彦氏 アキレス腱断裂も開幕投手を諦めきれず…
選手生命を縮めた? 開幕投手へのこだわり
徳光: 次の年の開幕投手、これはちょっと焦ったんじゃないですか。 遠藤: アキレス腱断裂の場合は「6カ月後には復帰できる」って聞いたんですよね。10月頭のケガでしたから、4月の開幕までちょうど6カ月なんですよ。 徳光: なるほど。 遠藤: ですから、何とかそこに間に合うように頑張ろうっていう気持ちでした。 開幕投手の回数では平松さんのほうが多いんですけど、連続ってことにすごくこだわってたんです。来年の4月に間に合わそうという思いが強かったですね。 遠藤氏は1987年まで5年連続で開幕投手を務めていた。この数字は平松政次氏の4年連続を超えて当時のホエールズでは最長記録だった。 遠藤: 1年を棒に振ってでも、しっかりリハビリしていれば、もうちょっと野球人生が延びたかなっていう後悔はありますよ。 徳光: それだけ開幕投手に対しての思いが…。 遠藤: そうですね。結局、開幕投手にはなれなかったんですけど、6年連続、7年連続の開幕投手にこだわってたもんですからね。やっぱり、あれは譲れなかったですね。 徳光: それほどまでに違うものですか。 遠藤: 初めて経験したときにそれを味わいました。開幕ゲームは、ほかのチームもエースが来るわけじゃないですか。 徳光: そうですよね。 遠藤: 開幕投手の中で勝ってこそエースと言われるゆえんと思っていましたから。
リリーフ転向でカムバック賞
ケガをした翌年の88年、遠藤氏は5勝12敗で連続2桁勝利が6年で途切れる。89年も2勝8敗と大きく負け越した。 遠藤: 私は2年間、たいした数字を残してなかったですから、自由契約、クビっていう覚悟でいたんですね。 遠藤: その年に須藤(豊)さんが監督になるんですけど、「ブルペン、50球ぐらいでいいからな。50球、毎日放る練習をしとけ。後ろへ回ってもらうから」って。 「なんとか仕事はもらえるんだな」って思いました。僕は昔は、抑えっていうのはあんまり評価してなかったんです。あそこは長いイニングを放れないピッチャーのポジションだって思ってましたから。 徳光: では、ご自身がそうなっていかがでしたか。 遠藤: これは一つの仕事場だとして受け止めました。 徳光: 投手として抑えは2番手、3番手、そういう価値で受け止めてたんですね。 遠藤: そうですね。私の中ではそれは変わらなかったです。 遠藤氏は1990年に大洋のクローザーとして活躍。6勝6敗21セーブ、防御率2.17の成績でカムバック賞を受賞した。
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