パラリンピックへの出場限られる知的障害の選手:パリ卓球「金」和田選手の思いとは
短い歴史、過去にスキャンダル
パラリンピックの歴史を見れば、知的障害者がいかにいばらの道を歩んできたのかが分かる。参加が可能になったのは1996年のアトランタ大会からで、当時は陸上と水泳のみ。2000年のシドニー大会では卓球とバスケットボールが加わって4種目になったが、この大会でパラリンピックの歴史に残る大事件が起きた。知的障害バスケで優勝したスペイン代表チームの選手12人のうち、10人が健常者だったのだ。しかも偽装は組織的に行われていた。選手の1人がジャーナリストで、事件は彼の告発がきっかけとなって発覚した。 前代未聞のスキャンダルで、スペイン代表の金メダルは剥奪された。ペナルティーはこれだけではなく、国際知的障害者スポーツ連盟も国際パラリンピック委員会(IPC)に参加する資格を剥奪され、知的障害の全選手がパラリンピックから排除された。 04年のアテネ、08年の北京でも正式出場は認められず、12年のロンドン大会でようやく知的障害のクラスが復活した。それでも、実施されたのは陸上、水泳、卓球の3競技のみで、それはパリ大会でも同じだった。冬季パラリンピックでは、いまだに知的障害者が参加できる競技はない。
難しいクラス分け
IPCが知的障害者のパラリンピック参加拡大に慎重になっているのは、主に二つの理由があると指摘されている。 一つはクラス分けの難しさだ。パラスポーツでは障害の部位や程度によって運動能力に差が出る。公平性を保つために、同じ程度の障害の選手でクラス分けをする。例えば、陸上の走り幅跳びでは「機能障害」「視覚障害」「知的障害」「脳性まひ」の4つに分けられる上、機能障害でも膝の下の切断か膝から上の切断でクラスが異なる。こうした条件のため、男子だけで合計10の種目がある。 だが、身体障害と異なり、知的障害の場合は障害の程度と運動能力に明確な相関関係があるわけではない。 卓球は知能指数(IQ)75以下が出場要件だ。さらに、日常生活を送ることに制限があること、18歳以前に生じた障害であることが必要とされる。そのほかにも卓球の実技、試合形式のテスト、コンピューターを使った理解力の検査、大会期間中の動きがクラス分けのテスト結果と対応しているかも審査される。 これだけ厳密に診断しても、知的障害者の場合、トレーニングを重ねることで健常者との違いが見えにくくなる。競技の経験年数が長ければ、一般の卓球選手と対等に対戦できるようになり、知的障害者同士でも、障害の重い選手が軽い選手に勝利することがある。身体障害者でもクラス分けの結果をめぐって問題になることがあるが、知的障害者の場合はそもそも「クラス分けをするなら何を基準にすればいいのか」という、ルール決めにあたっての困難が生じる。シドニー大会で不正が発覚した後、ロンドン大会まで正式種目として復帰できなかったのは、国際的に共通化できるルールが定まらなかったことも影響していた。