体操の内村航平が引退会見…”キング・コウヘイ”にとって五輪で獲得した3つの金メダルは何だったのか…3.12に異例引退試合
「オリンピックイヤー以外で世界選手権が毎年開催され、世界チャンピオンになり続けたなかで、果たして自分は本物のチャンピオンなのかと疑い続けて、オリンピックの舞台で2回もしっかりと証明できた。その意味で振り返ると、僕にとってのオリンピックとは自分を証明できる場所だったとあらためて思っています」 前人未到の個人総合8連覇を含めて、世界の体操競技の歴史に燦然と輝く一時代を築き上げた内村は、一方でこれまでに自らの名を冠した技を残せていない。 体操では主要国際大会で新しい技を初めて成功させた選手の名前が技名につく。例えば東京五輪前の昨年6月に24歳の若さで引退した白井健三さんは、得意種目としてきた床運動と跳馬で3つずつ、計6個も「シライ」の名を冠した技を歴史に残している。 引退会見では「ウチムラ」の名を技に残せなかった思いも問われた。 「発表していない技はもちろんありますし、そのなかには成功させていたら確実に『ウチムラ』という名前がついていた技もあります」 胸を張って答えた内村は、国際大会の舞台で新技の封印を解かなかった理由を、6種目で争う個人総合に誰よりも強く抱いてきたこだわりに集約させた。 「こうして自身の名前がついた技がない状態で引退を迎えましたけど、逆にそれもありかなといまでは思っていて。それだけ自分が個人総合を誇りに思ってきた証明にもなるし、技名をひとつ残すよりもすごいことをやってきたと誇りを持てているので」 実はチャンスがあった。白井さんが2013年の世界選手権の跳馬で初めて成功させ、国際体操連盟から「シライ/キム・ヒフン」と命名された伸身ユルチェンコ3回ひねりを、内村は2010年の全日本選手権種目別決勝で成功させている。 「僕が最初にやっているので、健三に取られた感じですね」 ジョークを交じえながら12年前の記憶をひもといた内村は、個人総合での演技に伸身ユルチェンコ3回ひねりを加えようと一度は考えるも断念したと明かした。