夫が急逝、義父母が遠方の実家の墓に納骨してしまった。分骨を断られた妻に僧侶が説いた「真の供養」とは
厚生労働省が公表した「令和5年(2023)人口動態統計(確定数)の概況」によると、2023年の死亡数は157万6016人で、前年より6966人増加した。「多死社会」への突入が危惧されるなか、YouTubeの登録者数67万人の人気僧侶、愛知県・福厳寺住職の大愚元勝さんは「自分のお墓を誰が守るのかという問題はますます深刻化するでしょう」と語る――。そこで今回は、大愚和尚の著書『心が整うおみおくり-残された人がよく生きるための葬儀・お墓・供養のこと』から、おみおくりとの向き合い方を一部ご紹介します。 【書影】僧侶が「死別」との向き合い方を説く。大愚元勝『心が整うおみおくり』 * * * * * * * ◆遺骨がなくても供養はできる お墓に関して、真の供養を実現なさったB子さんの話をします。 B子さんは不慮の事故で配偶者を亡くされました。配偶者の実家は遠方にあり、お参りしたくても簡単には行けないため、住まいの近くにある福厳寺にお墓を建てて納骨したいと考えていたそうです。 ところが配偶者のご両親はご存命でした。分骨してもらえないかと交渉したものの頑なに拒まれたということでした。 故人が生前に自分の希望を記しておくのが理想的といえますが、若くして急逝されたため、備えていませんでした。 こうした場合、遺族間でトラブルになってしまいがちです。あなたは配偶者のご両親が分骨してあげればいいのにと思うかもしれません。けれど分骨はしたくないと思う人もいるのです。 これは価値観の問題。自分の価値観が正しいとは言えないし、自分とは違うからといって誰かの価値観が間違っているとも言えないと私は思います。
◆真の供養とは 問題は自分の心にどう折り合いをつけるのかです。B子さんはそのための智慧を備えていました。 その日、私はB子さんから「野球が好きで、地域の野球チームのキャプテンをしていた彼が愛用していたユニフォームで供養していただけないでしょうか?」と打診を受けたのです。 もちろん快諾しました。お墓は骨の倉庫ではありませんし、お墓参りは遺族の心を癒やす役割が大きい。 花を手向け、お線香を焚く中で故人との関係性を思いおこし、心の対話に集中することが目的であって、納めるものが骨である必要はないというのが持論です。 分骨をしたいという相談も数多く寄せられますが、あまりお勧めしません。故人に対する想いは理解できるのですが、バラバラにしてまで骨に固執するのは遺族の自分本位な行為ではないでしょうか。 いずれにしても大切なのは骨ではなく、故人に対する想い。 この本質的なことが欠けたままする供養は、真の供養ではないと私は思います。