F1快挙の裏側。なぜホンダは13年間も優勝できなかったのか?
6月30日に決勝レースが行われたF1第9戦オーストリアGPで、レッドブル・ホンダが優勝した。レッドブルとしては昨年の10月に行われた第19戦メキシコGP以来、60回目の優勝だが、ホンダにとっては2006年8月に行われた第13戦ハンガリーGP以来、13年ぶりの優勝だった。 なぜホンダは今回、優勝できたのか。それは裏を返せば、なぜホンダは13年間優勝できなかったのかを意味する。 13年前の勝利を振り返ろう。この年、ホンダはパートナーを組んでいたBAR(ブリティッシュ・アメリカン・レーシング)を買収する形で、ホンダとしてエンジン供給だけでなく、チームとして参戦を開始したシーズンだった。BARは1999年から参戦していたが、2005年まで優勝経験は一度もない新興チームだった。2006年ハンガリーGPの優勝も、雨が降ったり止んだりする中、上位陣が相次いでリタイアする荒れた展開でつかんだ勝利。つまり、実力でもぎとった勝利というよりは、運をうまく味方につけての勝利だった。そのことは、この後、ホンダが2008年末にF1から撤退するまで、一度も優勝できなかったことでもわかる。 この反省から、2015年にF1に復帰するにあたって、ホンダはチーム運営には関わらず、エンジンを含むパワーユニット(PU)の供給に専念することになる。さらに勝利を狙えるチームとタッグを組む。それがマクラーレンだった。マクラーレンはホンダが第2期F1活動(1983年~1992年)時にエンジンを供給していた経験があり、1988年から1991年までコンストラクターズ選手権で4連覇した歴史があったため、古豪復活を期待する声が高まった。 ところがホンダが復帰した2015年は、F1がそれまでの自然吸気エンジンから、ターボエンジンに2つの回生エネルギーを組み合わせた市販車でも実用化していない非常に複雑なPUと呼ばれる新時代の動力源に変わって2年目という時期だった。ホンダのライバルであるメルセデス、フェラーリ、ルノーの3社はこのPUの開発を2014年に導入する5、6年前から始めていたのに対して、ホンダが開発をスタートさせたのは参戦するわずか2年前の2013年からだった。