横綱・鶴竜、最後の優勝は豊ノ島にとっても忘れられない思い出「人生で1回だけ…」
大相撲の元関脇でタレントの豊ノ島(41)が5日までに自身のYouTubeチャンネル「豊ノ島のお相撲ちゃん」を更新。ゲストに元横綱・鶴竜の音羽山親方(39)を迎えた。 音羽山親方は思い出の取組ベスト3を問われ、真っ先に挙げたのは2005年秋場所13日目「関取になるのを確実にした」一番だった。東幕下5枚目の鶴竜は東十両13枚目の琉鵬を送り出した。入れ替え戦とみられる重要な一番に勝って5勝2敗とし、次の九州場所で新十両昇進した。入門した当時に先輩から「4~5年で関取になれれば上々」と聞かされ「20歳か、21歳で関取」という目標を立て見事に果たした。 次いで苦手だった横綱・白鵬から初めて白星を挙げた12年初場所10日目。実に21度目の対戦で初勝利し「ずっと勝てなかった相手に勝てて自信を持てた一番」と振り返る。そして19年名古屋場所千秋楽。13勝1敗の横綱・鶴竜は12勝2敗の横綱・白鵬を寄り切って通算6度目、名古屋では初めての優勝を決めた。「それまで名古屋だけ優勝がなかった。横綱同士で優勝争いをして優勝できて、うれしかった」と頬を緩めた。 その名古屋場所の鶴竜優勝は豊ノ島にとっても思い出だ。「優勝パレードの旗手をやらせてもらったんですよ」。当時の豊ノ島は2年間12場所に及ぶ幕下転落を経て、18年九州場所から関取に復帰。この名古屋場所で幕内まで番付を戻していた。豊ノ島は「旗手を務める力士は勝ち越していないといけない、というのが何となくあるんですよね。7勝7敗の千秋楽で負けてしまって。お断りしようかと思っていたんですけど。(鶴竜から)“約束だから(パレードの車へ一緒に)乗って”と言われて。人生で1回だけ旗手をやらせてもらったんです」と笑顔で振り返った。鶴竜は所属した井筒部屋に稽古相手がいないため、同じ一門で豊ノ島が所属する時津風部屋へ出稽古することが多かった。交流の中で交わした言葉を、鶴竜が慣例にとらわれずに実行した。