怪物だらけ…オランダ代表、歴代ストライカーの系譜(3)史上最高峰の天才! だったけど…肘打ちで
オランダのサッカーには、4-3-3のシステムに代表されるような攻撃サッカーのDNAが受け継がれている。そして各年代に、華麗な攻撃をゴールで彩ることを宿命づけられた優秀なエースたちがいた。ワールドカップの舞台でも輝きを放ち、それぞれの時代で世界のトップクラスを走ってきたオランダ代表のエースストライカーたちの系譜を振り返る。
パトリック・クライファート 生年月日:1976年7月1日 個人成績:4試合出場/2得点0アシスト アヤックス時代の1995年にオランダ代表デビューを果たし、ミランで不振に終わった1997/98シーズン直後に初めてのワールドカップを迎えた。 しかし、1998年フランスワールドカップのグループリーグ初戦・ベルギー戦の終盤、相手DFロレンツォ・スターレンスに挑発されて肘打ちを見舞い、一発退場となってしまう。これにより3試合の出場停止処分を受け、ラウンド16まで欠場を強いられた。 それでも復帰した準々決勝のアルゼンチン代表戦でゴールを挙げ、オランダ代表のベスト4進出に貢献。準決勝のブラジル代表戦でもクライファートがゴールネットを揺らしたが、チームはPK戦の末に敗れてしまった。 2002年の日韓ワールドカップは欧州予選敗退で本大会出場を逃し、2006年のドイツワールドカップを目指していたが、クラブでパフォーマンスを落としていたこともあってEURO2004を最後にオランダ代表からは遠ざかる。 EURO2004終了後に監督に就任したファン・バステンからは無視され続け、完全に構想外となってしまったため自身2度目のワールドカップ出場はならなかった。