紫式部を地獄から生還させた!? 昼は朝廷で働き、夜は閻魔大王の秘書をした「モーレツ官吏」とは
閻魔(えんま)大王といえば、誰もが知る冥界の王、あるいは地獄の王とみなされる神あるいは仏。冥界へと送り込まれてきた死者を、「浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)」と呼ばれる生前の姿を映し出す特殊な鏡を見ながら尋問。一裁判官の大王が冥界の主宰者とみられるようになったわけは? 朝廷を風刺する歌を詠んだとして嵯峨(さが)上皇から隠岐に流された小野篁(おののたかむら)との関係から探ってみる。 ■地獄の王・閻魔大王の実像とは? 閻魔大王といえば、誰もが知る冥界の王、あるいは地獄の王とみなされる神あるいは仏である。冥界へと送り込まれてきた死者を、「浄玻璃鏡」と呼ばれる生前の姿を映し出す特殊な鏡を見ながら尋問。嘘をつこうものなら、たちまち見破って地獄に放り込むという、とても怖~い裁判官でもある。 仏教の世界観からすれば、これを地蔵菩薩の化身と解すようであるが、とてもとても。慈悲など微塵も感じられない、恐ろしい姿で描かれることが多いのである。仏の化身とみなせば、もちろん鬼ととらえるのは不遜と言えるかもしれないが、その形相からすれば、鬼以外の何物でもないと思えてくるのだ。 付け加えて言うなら、地獄なるものが本当にあるのかどうかも、当然のことながら定かではない。六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)なる世界観も同様である。地獄の対極にある天でさえ、まだ煩悩から完全に解き放たれた世界ではないというから、我々のような並みの人間など、どこまで行っても、煩悩の塊のままである…と、諦めざるを得ないようだ。はなから、「諦めこそが肝心」ということなのだろうか。 ■閻魔大王の秘書となった小野篁の心意気 ともあれ、まずは地獄あるいは冥府の話からはじめたい。これがたとえ想像上の世界だったとしても、なるべくなら関わり合いたくないというのが人情だろう。それにもかかわらず、歴史上の人物の中には、己が意思であえて冥府(めいふ)と呼ばれた閻魔大王の元に行き、そこで裁判の補佐役を買って出たという人物がいた。それが、公卿・小野篁であった。皇太子の家庭教師にあたる東宮学士(とうぐうがくし)をはじめ、遣唐副使まで任じられた秀才である。 ただし反骨精神も旺盛で、その性格が災いしてか、朝廷を風刺する歌を詠んだとして嵯峨上皇の怒りをかったこともあった。この時は、隠岐にまで流されたというから尋常ではない。それでも、才を惜しまれたためか、翌々年に赦免。その後は、参議、議政官、勘解由使(かげゆし)長官などの要職に就くなど出世を重ねた末、仁寿2(852)年、病を得て薨去(こうきょ)。享年51であった。政務能力ばかりか、歌の才にも秀でていたようで、『古今和歌集』にも、篁が詠んだ歌8首が収められている。 その才人が、どういうわけか、説話集『今昔物語集』『江談抄(ごうだんしょう)』『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』などでは、閻魔大王の元で働いていたことになっている。「昼は朝廷で官吏を勤め、夜は冥府で大王の補佐をしていた」というから、現代の猛烈社員顔負けの働きぶりであった。 この篁が、冥府との往来に使用していたのが、京都市東山にある六道皇寺の「冥土通いの井戸」と「黄泉がえりの井戸」といわれる。六道(ろくどう)皇寺といえば、延暦年間(782~805年)に空海の師・慶俊が、東山山麓に広がる埋葬地・鳥辺野入り口に創建(836年に山代淡海が創建したとの説も)したとされる寺院。 本堂裏庭にある「冥土通いの井戸」が冥土への入り口、境内隣接地に近年発見された「黄泉がえりの井戸」が帰路に使った冥土からの出口だというのである。いうまでもなく、ここが現生と他界の分かれ目。俗に、「六道の辻」と呼ばれたところであった。俗界と冥界を自由に行き来していたとなれば、大王ばかりか、篁までもが鬼だったとも思いたくなる。 その真偽云々はひとまず置くとして、篁の冥府での動向に注目したい。左大臣・藤原冬嗣(ふゆつぐ)の五男・良相(よしみ)や、冬嗣の孫・高藤(子孫に紫式部がいる)が死線を越えようとしていた際、篁が大王に掛け合って蘇らせたといわれている。 その遥か1世紀以上後に活躍した紫式部も、なぜか篁のとりなしによって、地獄からの生還を果たしたことに。愛欲まみれの世界観を書に認めた紫式部など、仏教を凝り固まった観点でしか見ようとしない輩にとっては、地獄に落ちるべき人物としか見えなかったのだろう。その縁あってかどうか定かではないが、二人の墓が隣り合っているというのが興味深い。 ■10人の裁判官全員の裁きが終わるのは、実に3年!! 地獄の沙汰も金次第? さて、篁のことばかりが先行して、肝心の閻魔大王のことが後回しになったようである。その役割から見ていくことにしよう。人が死ぬと、三途の川を渡った後、十王による裁きを受けるといわれる。その中の一人が閻魔大王である。その裁きは、死後35日目に行われるとか。 ただし、大王の裁定後も裁判は続き、10人の裁判官全員の裁きが終わるのは、実に3年後のこと。何とも気の長い話である。この3年の間に執り行われた遺族による追善供養も判定材料に加味されるというのが、何とも御都合主義的で気になるところ。六道のいずれに送り込まれるのかが、供養の如何によって左右されるというのだから、遺族としても気がかりであるに違いない。俗に「地獄の沙汰も金次第」といわれるように、追善供養にかけるお金が膨らんでいったことはいうまでもない。 ともあれ、閻魔大王とは、いわばこの裁判官の一人にすぎなかったわけだが、前述の判定に必要な証拠を映し出す「浄玻璃鏡」の所有者であったためか、大王を取り囲んで審議が進められたと考えられる。そこから、いつしか大王が冥界の主宰者、あるいは地獄の王とみられるようになったのではないか?とまあ、これはあくまでも筆者の推測でしかないが、そんな気がしてならないのである。 最後に、大王にまつわる面白い話題を一つ。それが、狂言「朝比奈」に登場する大王と豪勇無双の武人・朝比奈三郎とのやりとりである。ここでは大王が、朝比奈にコテンパンにやられている。「近頃は敬虔(けいけん)な仏教徒が増えたせいか、地獄へやってくる人間が少なくなって…」とボヤく大王。 この弱気な大王を、あろうことか朝比奈が、その首根っこを掴んで引き回した挙句、投げ飛ばしてしまうのである。最後には極楽へ案内させるというオチがついたところで幕。まるで「地獄も極楽もあるもんか」とでも言いたげな痛快さに、もろ手を挙げて喝采したくなるのである。
藤井勝彦