30日KEIRINグランプリ 平原康多へ後閑信一氏がエール 今年は優勝賞金1億4000万円
2024年の競輪界の総決算、KEIRINグランプリ2024が30日、静岡競輪場の第11R(午後4時30分発走)で9選手によって争われる。スポーツ報知評論家の後閑信一氏(54)は、14度目の出場になる平原康多(42)=埼玉・87期=に注目。昨年まで10年間守ってきた最高ランクのS級S班から今年陥落しながら、5月の日本選手権を制覇して復活。届きそうで届かなかったタイトルに挑む平原が、29日のガールズグランプリを7年ぶりに制した石井寛子に続く完全復活に期待を寄せた。 いよいよ「KEIRINグランプリ2024」の日が来ました。私もGPには5回出場した経験があります。2、3着はありましたが、GP制覇には届きませんでした。そして先日、36年間の競輪人生に終止符を打った競輪界の「レジェンド・オブ・レジェンド」神山雄一郎さんもGPは16回出場も手の届かなかった、不思議な空気感のあるレースなのです。 そこに挑むのは14回目の出場となるコウタこと、埼玉県・平原康多選手。私は彼に注目をしています。コウタは名実ともに誰もが認める競輪界のレジェンド選手です。爽やかなルックスで誰もがその人柄に魅了されるスーパースター。18年の静岡GPでは、不運にも落車のアクシデントに見舞われました。しかし、最後の直線で動かなくなってしまった自分の自転車を引きずりながら諦めないでゴールをする姿は誰もが感動し、勇気と力をもらったのではないでしょうか! 私も現役で走っている時は、良い時もあればそうでない時もありました。どちらかというと、そうでなかった時の方が多くあったと思います。引退して改めて振り返ってみると、思ったように全てがうまくいかなくて、いろいろ勉強して、いろいろなことに挑戦して、そしてG1優勝という景色を見たからまたあの景色をもう一度見たいという思いになりました。競輪のとりこになるから何度でも立ち上がれるのだと思います。 そしてG1の優勝というのはその登って行く途中にあるので、完成や答えの先にあるのではない! 挑戦している時に結果は出るのだということもコウタは分かっていると思います。「苦しい時が上り坂」。その時の自分の体の細胞や健康状態、自転車とのマッチング、レース展開など、まさにピタッとハマった時に一番の集中力を発揮しゾーンに入るのです。極限の集中力ゾーンに入ると脳と体が一緒に動いてゴールまで何が起こっても本能で対応して突き進んでくれるような不思議な瞬間なのです。 コウタの日本選手権優勝は、落車のダメージが残る状態で勝ち取りました。必要最低限の筋力やパワーは大切ですが、体の使い方で一体になった時のしなやかで鋭い動きの出力は、筋力を超えて自転車の推進力に変わることを熟知していたのです。 先日引退した神山雄一郎さんがいつも言っていた言葉は「自転車は道具を使えるスポーツだから奥が深くて面白い」、「できることなら一生走っていたい」。私も同じ思いでした。この神山さんの重く奥の深い言葉を、コウタにエールとして送りたいと思います。(スポーツ報知評論家・後閑信一) ◆後閑 信一(ごかん・しんいち)1970年5月2日、前橋市生まれ。54歳。日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)第65期生として、90年4月デビュー。G1は2005年競輪祭(小倉)、06年寛仁親王牌(前橋)、13年オールスター(京王閣)の3V。18年の現役引退後、スポーツ報知の評論家に就任。通算成績は2158戦551勝。生涯獲得賞金額は、12億6420万4933円。ニックネームは「ボス(BOSS)」。 ◆平原 康多(ひらはら・こうた)1982年6月11日、埼玉・狭山市生まれ。42歳。川越工卒。日本競輪学校87期生として、2002年8月デビュー。06年「ふるさとダービー」(富山)でビッグレース初優勝。09年「高松宮記念杯」(びわこ)で初タイトルを獲得し、今年の「日本選手権」(平)で9度目のG1制覇。グランプリは13度出場し、初出場の08年と21年の2着が最高。通算1591戦510勝。通算獲得賞金16億9442万6300円。185センチ、95キロ、太もも67センチ。血液型A。 ◆KEIRINグランプリとは 1985年に第1回大会が行われ、当時の優勝賞金は1000万円。その年のG1(読売新聞社杯全日本選抜、日本選手権、高松宮記念杯、オールスター、寛仁親王牌、競輪祭)優勝者と年間の獲得賞金上位者で争われる。2004年から優勝賞金が1億円になり、今年は1億4000万円(副賞含む)。静岡競輪場での開催は、21年以来3回目。
報知新聞社