伊藤比呂美「母とは一生わかり合えないと思って生きてきた。寝たきりで認知症が進んだ母の介護で訪れた変化」
◆老いた母と娘の葛藤 海原 就職や結婚などで物理的に母親から離れられても、母に介護が必要になったとき、母娘問題が再燃する方もいます。伊藤さんは、介護を通じてお母さんと密なコミュニケーションの時間を持ち、ある種の決着をつけられたそうですね。 伊藤 母とは、一生わかり合えないと思って生きてきました。でも、母が亡くなる2週間くらい前だったかな。「あんたみたいな子どもは本当に大変だったけど、あんたがいて楽しかった。面白かったよ」と言ってくれて。それは、母から赦しをもらったような感覚でした。 海原 伊藤さんをうらやましく思います。どうやってその境地までたどりつけたんでしょう。 伊藤 認知症が始まった頃から、私はアメリカから毎日のように国際電話で話し、できるだけ帰省しました。 その後、母は原因不明の病気で手足が動かなくなり、病院で寝たきりの生活が5年。熊本に見舞いに行けば喜んでくれるし、私が自分の家庭の愚痴をこぼせば一生懸命に聞いてくれる。 たぶん母は、稼ぎの悪い夫とか言うことを聞かない娘とか、ほかにもたくさん《娑婆》の苦しみを抱えていたと思うんです。体が動かなくなり認知症が進んで、その苦しみがだんだん消えて穏やかになった。いい母親は寝たきりの母親だ、って思いましたね。(笑) 海原 いい話。決着がついて本当にうらやましい。うちの場合、父が亡くなったときに、母が遺産を全部持って行ってしまったの。しばらく実家や東京のマンションで一人暮らしをした後、「あんたの世話にはならない」と、自分で施設を探して移っていきました。 伊藤 立派じゃない!
海原 それがねえ。父は、母が月々に使うお金をきっちり計算して、20年近く暮らせるように残してくれたはずなんです。それを10年も経たないうちに使い果たして。あるとき突然、「もうお金がないから、あとは払って」と。(笑) 伊藤 何に使っちゃったんでしょうね? 海原 まったく不明。そういえば母のダイヤの指輪を譲り受けたいと思っていたのに、「お金がないから売っちゃった」と、すごく安く売ってしまっていた。私に渡してもお金にならないと思ったから、と。これは結構ショックでしたね。 いろいろな仕打ちに慣れてはいたけど、そこまで嫌われているかと。本当に最後までわからない人でした。 伊藤 「毒母」という言葉があるけれど、どう思いますか? 海原 親というのはみんな、多かれ少なかれ《毒》を持っているものです。それが子どもの人生に影響するかどうかはお互いの性格にもよるし、環境や当事者の受け止め方などによります。 一方「毒母」の逆で、「慈母」――慈悲深い母も、子の成長を阻害している場合は問題です。 ある女性の場合、「母は本当に良いお母さんで仕事のサポートまで完璧。でも、私はすべて母が正しいと思って生きてきたから、何をするにも『母ならどうするか』が先に来て、自分では何も決められない」と悩んでいました。
【関連記事】
- 【前編はこちら】海原純子「母親からは名前を呼ばれず、医師になっても認めてもらえなかった。<娘として愛されたい>求めても叶えられなかった過去が、今でも顔を出す」
- 真瀬樹里「母・野際陽子は過保護だけど厳しかった。教科書を1回読めば覚えてしまう母に『なんで間違えるの!?』と試験の結果を怒られて」
- 岩崎リズ「母・冨士眞奈美から、高校で不登校になった時に渡された水筒の中身は…。『普通じゃいけない』といつも言われて」<冨士眞奈美×岩崎リズ>
- 【母から娘へ】「育ててもらった感謝はないのか」「親を財布としか見ていない」「孫の世話が終わったら鍵を取り上げられた」「もっと話がしたい」
- 【娘から母へ】「兄ばかり可愛がってきたのに介護は娘?」「孫のことまで口を出さないで」「母のいいなりの人生だった」「世間体ばかり気にしてる」