「石川、能登のために」。被災地域出身選手・廻智樹の“白山愛”「僕はここで、上を目指す」|F2で紡がれる戦闘記
能登は高校3年間を過ごした第二の地元
──今年1月1日、震災が起きた時はどのような状況だったのでしょうか? 自分が住んでいる地域はほとんど被害を受けませんでした。でも、高校3年間を過ごした能登半島の七尾市は、毎日サッカーの部活で汗を流した鵬学園高校のグラウンドが使えない状況になっていたり、住んでいた寮が崩れて住めなくなったりしていました。思い出の場所が被害を受けていて、後輩たちのことを考えると心が痛みました。 ──どのような復興支援活動をしてきたのでしょうか? チームでも近くのショッピングモールで募金活動を行なったり、物資を届けたりもしました。他にもいろいろとありますが、先日はFリーグの松井大輔理事長も来てくれて、能登で一緒に泥かきをしました。 ──震災からの復興が進んでいたところで、今度は豪雨に見舞われてしまいました。 おそらく、地震よりも豪雨による水害のダメージが大きかったと思います。現地に行って改めて感じましたが、1月の地震と9月の豪雨の被害から数カ月経っても、能登の深刻な状況はほとんど変わっていません。 泥かきをした日は、合計7人で2~3時間の作業をしましたが、自分たちがやった作業は全体の1割にも満たず、微力にしかなりませんでした。作業を終えた後も違う団体の方たちが作業をしていましたが、それでも全然足りない状況です。 アクセスが悪く、思うようにボランティアを派遣できないなかで、時間もかかるし、どうしようもない状況が続いています。まずは全国の人に、能登は今もまだ大変な状況にあることを知ってもらいたいです。 ──松井理事長とはどんなお話をされたのでしょう? なにかを話すというよりも、もうとにかく作業しようとすぐにスコップをもって「やろう」と。率先して作業を進めてくれていました。その姿が本当にうれしかったですし、自分たちも刺激を受けました。 ──自分のコンディション調整や大学生活もあるなかで、率先して支援活動に参加しています。その想いは? もちろん、石川県白山市出身ということもありますけど、能登は高校時代にお世話になりましたし、自分にとって“第二の地元”だと思っています。みんな優しくていい人たちばかりですし、能登が大好きだからこそやりたいという気持ちです。