「ヤバイ、ヤバイ…意識が飛ぶ寸前で」箱根駅伝“山の神”に惨敗したランナーが果たせなかった雪辱「大学3年の時に柏原竜二が入学してきて」
今年も多くのドラマを生んだ箱根駅伝。本稿では、箱根の山を駆け抜けたランナーを取材した『箱根5区』(徳間書店)より、2人の“山の神”に翻弄された東洋大・釜石慶太のエピソードを抜粋掲載します。第83回大会(2007年1月)、当時1年生で5区を任された釜石は2位で襷を受け取ったが、次々と追い抜かれてしまう。【全2回の2回目/第1回から続く】 【変わりすぎ写真】「え、あの時の?」“山の神”に抜かれて大失速…悲運の1年生の現在を見る 東洋大学の釜石慶太は、小涌園前あたりで阿部(豊幸/日大2年)に抜かれた。 「阿部さんが来たときは、低体温症の影響で意識が飛ぶ寸前でした。抜かれたあとの小涌園から最高到達地点までは、ほとんど記憶がなかったです。とにかく2位でつないでもらったので、なんとかしないといけない。ヤバい、ヤバいって、そう思って上っていました」 沿道の声援も、運営管理車のジープからの声も、なにも耳に入らなかった。「とにかく上りきろう」という自分の内なる声しか聞こえなかった。 なんとか体を動かし、ようやく最高到達地点を越えることができた。ここから下りに入ると、少しだけ意識が戻ってきた。 「下りになって、ちょっとだけ回復したんです。このままじゃダメだと思い、気持ちも足も切り替えました。たぶん、この下りがなかったら切り替えるキッカケをつかめず、そのまま区間ビリになっていたと思います」
区間17位の大ブレーキ…往路は10位に
ゴールした瞬間は、まったく覚えていない。気がついたときには、箱根湯元の病院のベッドだった。付き添いの大学の職員に、「駅伝どうなりましたか」と聞いた。自分がゴールした記憶がなく、ゴールできたのかどうかを知りたかったのだ。 釜石は区間17位、チームは往路10位だった。だが、東洋大学はそこから粘りの駅伝を見せ、8区、9区、10区で挽回し、総合5位まで順位を上げた。 「1月3日は、大手町で大学の報告会があるんです。4区2位で優勝できるチャンスがあったのに、僕が10位に落としてしまったので『顔を出せないな』と思いました。実際、行っても『すみませんでした』としか言えませんでした。でも、先輩たちが、『誰が上ったとしてもこういう結果になったと思う。むしろ、山を1年生に任せてしまった俺らが悪い』と言ってくださって。それに復路をがんばって総合5位になったこともすごく救われました。今回は、先輩に助けてもらった。次はみんなを助けられる側になりたいと思いました」 しかし、山の傷はそう簡単には癒えず、次も5区という気持ちにはまったくなれなかった。レース後、監督、コーチとほとんど言葉を交わすことはなかったが、2月の合宿で、釜石は川嶋伸次監督に呼ばれて、こう言われた。 「山、また、おまえでいくからな」 監督は、自分を信頼して、また任せてくれる。そこから釜石の意識が変わった。 「最初はもう5区は荷が重いので、8区か9区で勝負したいと思っていたんです。でも、監督にそう言われて、5区でリベンジしないと自分の競技人生は逃げになってしまう。もう5区を走るしかないと覚悟を決めました。ただ、走る以上は、失敗した恐怖心を拭うくらいの努力をしないといけない。毎月、山上りの練習をして、月間で800キロ以上、夏合宿は私と6区候補の大西一輝さんら3人で、群馬で山ごもりをして、1000キロ以上走っていました」
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