「ヤバイ、ヤバイ…意識が飛ぶ寸前で」箱根駅伝“山の神”に惨敗したランナーが果たせなかった雪辱「大学3年の時に柏原竜二が入学してきて」
拭いきれなかった“箱根山のトラウマ”
2008年、第84回大会では、前回の失敗を引きずることなく、自信をもってスタートラインに立った。 しかし、いざ走り始めると昨年のレースがフラッシュバックした。 「このペースで大丈夫なのか。また、低体温症になってしまうんじゃないか、とかいろいろな弱い虫がくっついてくるんです。いくら練習してもやっぱり自信がないというか、もう失敗できないという弱気なレースをしてしまいました」 二度目の5区は、83分41秒の区間13位に終わり、思うような走りができなかった。 大学3年になり、三度目の正直で「今度こそ」と思ったが、柏原竜二が入学してきた。春から山の候補として、一緒に練習するようになった。 「夏合宿、柏原と一緒に山を走っていたんですが、もうけちょんけちょんにやられました。彼は先輩にも物怖じしないガツガツくるタイプで、もう圧倒されましたね。それからは山のリザーブとして、5区と6区のバックアップをしつつ、2年間の経験を少しでも伝えていければと思っていました」 第85回大会、獰猛なルーキーは、5区を区間新で快走し、東洋大学を優勝に導いた。この走りを見ていた今井は、柏原の走りに賛辞を送った。 「高校のときから話は聞いていましたし、都道府県駅伝(天皇盃全国都道府県対抗男子駅伝競走大会)の際は5区についていろいろ聞いてきてくれた。同郷の選手に記録が抜かれて、悔しさもありましたが素晴らしい走りで、むしろスッキリしました」
主将に就任した最後の箱根駅伝でも…
釜石は4年になって主将になった。しかし、足の故障から満足に走れず、箱根駅伝のエントリー直前にはインフルエンザに罹患し、メンバーからも外れた。 病気から回復すると、朝4時に起きてグラウンドを掃除し、主力が走るコースの交通整理をするなど、裏方に徹した。 「4年目は、箱根の連覇がかかっていたので、もう割り切っていました。キャプテンという立場、2年間箱根を走らせてもらった立場、酒井俊幸政権1年目というタイミングでもあり、いろんなものを背負っての最後の箱根だったので、自分の個人的な思いよりもチームの優勝を第一に考えていました」 走れないながらも主将として臨んだ2010年の第86回大会は、釜石の献身的な行動や出走した選手のがんばりもあって見事、大会2連覇を達成した。 3年、4年時は柏原の出現で出走できなかったが、その経験も含めて4年間は大事な時間だったと釜石は回想する。 「箱根を目指す選手で努力していない人はいないと思うんです。相当な努力をしている大前提で1月2日、3日にピークをもっていくというのは、すごく難しい。そこで力を発揮するというのは、個人的には究極の領域だなと思いました。そういう難しさ、怖さみたいものを経験し、それを3、4年のときに伝えることができてよかったです」 大学を卒業後、釜石は公務員になり、2年間、山形県上山市役所に勤務したあと、2012年4月に仙台育英学園高校の女子駅伝部の監督に就任した。当初は部員が6名しかおらず、サッカー部の選手などをかき集めて予選会に出場していた。 その後、2017年の全国高校駅伝女子では23年ぶりに日本一に輝き、2019年、2021年にも優勝するなど、駅伝の強豪校に育て上げた。 その際、指導の手本になったのは東洋大学時代の恩師だった。 「川嶋さんからは、五輪に出場されている人らしく、『凡事徹底』で1回1回の勝敗に一喜一憂せずに、淡々と物事に取り組むということを学びました。酒井さんは高校教員から監督になられたので、生活面、栄養面、メディカル面など本当に細かいところにこだわる姿勢というのを学ぶことができました。2人の指導をミックスして得られるのは、私たちの世代から柏原の世代までなので、すごく貴重なことだと思います」 チームの目標は、全国高校駅伝女子で優勝することだが、パリオリンピックでの経験が釜石にまた新たなモチベーションを与えてくれた。 「うちは、毎年その選手がどんな目標をもって、どういうふうに陸上をやりたいか、というところに沿ってやっています。駅伝では日本一を目指し、日本のトップになりたいという子たちが高みを目指して、憧れをもってきてくれています。そういう子どもたちにはしっかりと還元してあげたい。実は、パリオリンピックでOGの小海遥(第一生命グループ)が10000メートルに出場したので、現地に行ったんです。遠い存在だったオリンピックで小海が走る姿を見て、あらためて日の丸をつけた選手を増やしていきたいと思いました。少子化が進むなか、駅伝に特化する高校が増えてきているので、スカウティングを含め大変ですが、世界を意識して駅伝とうまく両立させてやっていきたいと思います」 パリオリンピックが釜石の新たなモチベーションを生み、指導者としてのやる気を駆り立ててくれたようだ。 〈第1回から読む〉
(「箱根駅伝PRESS」佐藤俊 = 文)
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