子どもたちにスポーツを心から楽しんでもらいたい。「監督が怒ってはいけない大会」代表・益子直美さんの想い
――そういう思いから「監督が怒ってはいけない大会」を立ち上げられたのですね。 益子:そうなんです。もともと、社会的に追い詰められている人たちの手助けがしたいという思いを持っていて。「監督が怒ってはいけない大会」を運営するようになる前は、ゲイの人たちのバレーボール大会を主催していたんです。 当時はまだLGBTQという言葉が一般的ではない頃で、ゲイの友だちに「僕たちは目指す大会がない」と言われた一言から大会をつくりました。カミングアウトすら難しい時代でしたけど、みんな楽しんでくれていましたね。 その大会が10年の節目を迎えたとき、北川さんから「次は小学生の子どもたちを対象にした大会を一緒にやりませんか」と声がかかって、この「監督が怒ってはいけない大会」を立ち上げたんです。 北川さん(以下、敬称略):妻(美陽子さん)が実業団のバレーボール選手だったこともあって、学生時代のハラスメントや体罰についてはよく聞いていました。暴言、暴力の嵐で、「バレーボールを辞めるのが目標だった」なんて言うんですよ……。 そんな中、私が暮らす福岡で、バレーボールのジュニアチームの活動に関わることになりました。ちょうど17年前の話です。現場を見たら、相変わらずのスパルタ指導が行われ、子どもたちの中には泣いている子もいたんですね。 昭和の時代から何も変わっていないわけです。これはどうにかしないといけないと悩んでいたときに、益子さんと出会って、私の方から「一緒にスポーツ界を変えませんか」とお声がけしました。 益子:でも、この活動を始めた当初はとにかく批判が多かった。 「お前だってそうやって成長したじゃないか」 「お世話になった監督を裏切るのか」 「そんな甘いことをやっているから、日本のスポーツ界はダメになるんだ」 そんなふうに、周りから散々言われました。 ――時代が変わっても、いわゆる「スパルタ指導」や「根性論」を支持する人は減らないのでしょうか。 北川:それでも10年前に比べれば、少しずつ改善されていると思います。ただ、私たちが動き出したのが早かったので、風当たりが強かったのかもしれません。 益子:そうですね。当初はそういった批判の声が怖くて、「監督が怒ってはいけいない大会」の活動について情報を発信することを、あまりできませんでした。でもようやく、こうして堂々と取材を受けられる空気ができてきたと思います。