「お弁当の味は1.5倍濃いめでいい」 モデル・亜希さんが“食べない子"を持つ親御さんへアドバイス!
母親にいい思いをさせてあげたくて芸能界へ
小竹:それほど仲の良かったお母様の元を15歳で離れていますが、何かチャレンジしたいことがあったのですか? 亜希:1984~85年のアイドル全盛の時代で、私もいつかなってみたいという勘違いの思いが芽生えてきたんです。あと、ちょっとお金持ちになれるのではないかという淡い期待もありました。 小竹:お母様に何かを買ってあげたいとか、そういった思いもあった? 亜希:もちろんです。お風呂がある家がいいなとか、挽肉より牛肉がいいなとか、そういう思いは子どもながらにあって。別にすごく顔立ちが整っているわけでもなかったので自信はなかったけど、母を幸せにしたいとか知らない世界に連れていってあげたいという思いは誰よりも強かったですね。 小竹:自分がスターになりたいという思いより、家族への思いのほうが強かった? 亜希:はい。それだけ母は頑張っていた人だったので。芸能人=ハワイという印象があったので、母をハワイに連れて行くのが私の一番の夢でした。 小竹:それは実現したのですか? 亜希:実現しましたし、ほかにもいろいろなところに連れて行きました。ハワイは2回行って、ラスベガスも行って、バリも行きました。でも、もっともっとと思っていたときに亡くなってしまいました。 小竹:上京したときはどういった思いだったのでしょうか? 亜希:あれよあれよとオーディションに受かって、ありがたいことに東京でデビューできることになったのですが、15歳の多感な時期なので、離れたくない気持ちと1発やってみようみたいなチャレンジ精神がありました。 小竹:お母様は? 亜希:母に相談したときに「福井にいてもあなたがやれることは少ないし、自分の人生だから好きに決めていいんじゃない」って言われて、すごく寂しい反面、その決断をくれたことをありがたいと感じました。でも、周りの人からは「15歳の女の子を東京なんかに」って言われて…。 小竹:当時は東京まで電車で7時間くらいかかりましたもんね。 亜希:そうそう。すごく時間がかかったし、パスポートがいると思っていたくらいに純粋だったので、東京に行ったら汚れちゃうみたいなイメージもあって(笑)。でも、そこで活躍できなかったらどこでやるんだみたいな葛藤の中でチョイスしたのを覚えています。 小竹:出発のときにお母様から渡された荷物がすごく素敵ですよね。 亜希:安そうな缶の中に化粧品を揃えて入れてくれていたんです。今だったらハイブランドのマニキュアとか口紅とか、1本1万円くらいするものがあるけど、母が選んだのはスーパーに売っているような化粧水や口紅でした。 小竹:うんうん。 亜希:私もサンプルとかを結構使っていて、高い化粧品なんて見たことがなかったからすごくうれしかったけど、年を重ねていろいろなものを知ったときに、こういうものをチョイスしていたことをさらに愛おしく感じました。 小竹:ジワッときますよね。 亜希:東京に出て行くにあたって、お化粧で綺麗にして恥ずかしくないように支度するためのものだったのかなと思うと感激しましたね。