「お弁当の味は1.5倍濃いめでいい」 モデル・亜希さんが“食べない子"を持つ親御さんへアドバイス!
クックパッドのポッドキャスト番組「ぼくらはみんな食べている」。食や料理に熱い思いを持ち活躍するゲストを迎え、さまざまな話を語ります。クックパッド初代編集長の小竹貴子がパーソナリティを務めます。今回のゲストは、料理家の亜希さんです。 ◇ ◇ ◇
貧しい中で「工夫」がすごかった母親の料理
小竹:亜希さんは福井県出身だそうですが、雪はよく降りましたか? 亜希さん(以下、敬称略):五六豪雪というのがあって、私が小学校5~6年生くらいだったのですが、本当にすごい雪で交通の便が全てストップしちゃったんです。 小竹:私は石川県出身なのですが、2階から降りてスキーで学校に行っていました。福井には何歳までいたのですか? 亜希:中学校3年の2学期まで福井に住んでいました。中途半端なのですが、3学期が始まる前には東京に出ていましたね。 小竹:福井にいた頃などにお母様が作った料理が、今の亜希さんの料理のベースになっているのでしょうか? 亜希:自分が母親になってフルフルで料理をするようになって思うのは、母はそんなに料理が上手ではなかったなって…。ただ、工夫がすごかったです。あまりお金をかけなくても1食になるという術を見せてもらったと感じています。 小竹:例えばどういった感じなのですか? 亜希:普通だったら傷んでいて使わないであろうネギを綺麗に洗って蘇らせたり、お味噌汁の具材は何でもいいんだと教えてもらったりもしました。高級な具材じゃなくていいから、毎日必ずお味噌汁は飲むものだって。 小竹:うんうん。 亜希:お味噌汁を作るのが負担だというお友達もいるのですが、具材が何であっても味噌を入れれば味噌汁だと私は小さい頃から植え付けられているんです。何ならお湯と味噌だけみたいなときもあったりして(笑)。 小竹:うちはとろろ昆布だけの日とかありました。お母様はすごくお忙しい方だったそうですが、それでも料理はちゃんと作ってくださったのですか? 亜希:裕福ではなく、思い出しただけで涙が出そうになるくらいの家だったんです。お風呂もなかったし、あの状況でよく笑えていたなというような環境だったのですが、だからこそ、食卓は贅沢ではないけど必ず一緒でした。 小竹:うんうん。 亜希:「今日、私は友達とご飯に行くから何か食べといて」という家ではなく、1食1食が勝負で、安く食べることに必死だったと思うので、必ず何か工夫したものが出ていました。おいしくないなと思う日もありましたけど、母の頑張りが見えていた料理でしたね。