ジェーン・スー「仕事を始めてから、できることが増えれば増えるほど、できないことが鮮明になった。稲穂が頭を垂れるときに気づくこと」
ジェーン・スーさんが『婦人公論』に連載中のエッセイを配信。今回は「骨身にしみる」。スーさんが30代前半になった頃、できる仕事が増えるにつれて、気づくことがあったそうで―― * * * * * * * ◆骨身にしみる 実るほど頭を垂れる稲穂かな。辞書には、稲の穂に実が入ると重くなって垂れ下がるように、学徳が深まると、かえって他人に対し謙虚になることのたとえとあった。子どもの頃は、偉くなっても威張ってはいけませんという単なる注意喚起だと思っていた。 仕事を始めてから、見解は少しずつ変わっていった。骨身にしみ始めたのは30代前半からだ。できることが増えれば増えるほど、できないことが鮮明になる毎日に唖然としていたから。なんでもできるとうぬぼれ、尊大だった20代の自分を土に埋めたくなった。 国籍不明の偽名で仕事を始めて15年くらいになるが、頭を使って考え、私にできることを工夫してやっている。他人様のお金や時間を拝借したら、相手に損をさせてはいけないから。 そして、やればやるほど思う。私にしかできないことなど、ひとつもない、と。「おまえの代わりなんかいくらでもいる」と言われた経験は一度もなく、自分が取るに足らない存在だと感じているわけでもない。もっと朗らかに、古(いにしえ)から存在する自明の理として、私でなくてはダメなことなんて、少なくとも仕事においてはまるで存在しないとしみじみ思うのだ。こう考えられる状態を、私は非常に健やかに捉えている。 発注された仕事に120パーセントの結果で応えれば、次の仕事がくる。それはそう。締め切りをちゃんと守れば、依頼はまたくる。これも本当。発注したい仕事の第一想起に自分が出てくるようになれば、まあまあ安泰。それも事実。 だが、それだけでは好機は続かない。2度目のチャンスは巡ってきても、チャンスが次の大きなチャンスを呼び、恒常的に連鎖するまでには至らない。一生懸命やってもやっても同じところから進めず、やがて疲弊することになる。意地の悪い話だが、他者の働きを見てそう感じる場面が多い。
【関連記事】
- ジェーン・スー 宇多田ヒカルデビュー25年周年のライブを観に国立代々木競技場へ。傍観者だった私は、いつの間にか彼女と一対一で対峙していた
- ジェーン・スー「東京都知事選や米国大統領選をみて、『強さ』への執着を感じた。強さだけでは民衆をまとめられない時代に必要なリーダーの資質を考える」
- ジェーン・スー 母は結婚を機に仕事を辞めて専業主婦に。私は「母が選ばなかったほうの母の人生」を生きている自分に気が付いた
- ジェーン・スー 17年前に感じた違和感は、いまなら立て板に水の如く説明できる。法律婚における名字の選択と私
- ジェーン・スー ポッドキャスト番組「となりの雑談」で知ったこと。悲観的か楽観的かは、出来事のどこにスポットライトを当てて記憶するかで変わる