【漫画】超巨大な椿が落ちてきて押し潰される?躁うつ病の最も危険な「混合状態」をボクシングにたとえて解説【作者に聞いた】
「中学校2年生から高校1年生までのはっきりした記憶がない」 そう語ったのは、書評ライターや連句人として俳句や文芸情報をX(旧Twitter)で発信している高松霞さん(@kasumi_tkmt)。 【漫画】本編をイッキ読みする 家族の不幸に無意識に追い詰められていた日々と、それにより発覚した躁うつ病との日々を綴ってもらい、その心情にぴったりな俳句とともにコミカライズ。 作画は、自らのことを「霊感のようなものがある人間」と紹介する漫画家・桜田洋さん(@sakurada_you)が担当。その柔らかで心に染み入る絵のタッチと、鮮やかな色づかいが魅力だ。 今回は、躁うつ病の「混合状態」と呼ばれる症状をボクシングにたとえて描く。何度もリングに立って戦おうとするのだが、手を繰り出せど繰り出せど、敵に届かない…。そんな心情に寄り添う俳句とともにお送りする。 ――今回の話で、一番読者に伝えたいことは何ですか? 高松霞さん(以下、高松):双極症患者の脳が、体が、どれだけめんどくさいかが書きたかったです。「躁状態」「うつ状態」だけではなく「混合状態」まであって、それが一番しんどい負け試合だなんて、「やってられないよ!」って大声で叫びたくなりませんか? ――「病」と書かれた頭を持つ敵とのボクシングが描かれています。「病」と戦う選手、セコンド、ラウンドガール、ゴングを鳴らす人、すべてが高松さんを模した人になっているのに、それでも敵にパンチが当たらないという無力感が絶望的でした。ボクシングのイメージは日ごろからあるものなのでしょうか? 高松:私はボクシングではなく合気道をやっているんです。師匠に稽古を付けていただいたときに「パンチが当たらない」「畳に打ち付けられて身体中が痛い」「動けないけど動く」体験は何度もしていて。ああいう感じが近いなあ、でも合気道だと伝わらないだろうなあ、と思って、ボクシングにしました。 ――1つ目の俳句「超巨大落椿にて圧死せむ」について、どのような思いで選んだのでしょうか? 高松:てふこさん、火尖さんから候補をいただいた中で、一番パンチが強いものを選びました。うつの時って、まさに「圧死」なんですよ。本当に動けないし、呼吸ができない。それが超巨大落椿によるものなのだとしたら、悪くなさそうだなって思いますね、一瞬だけ。 ――「たまに足を引っ張ったり言うことを聞かなかったりするけれど躁うつは私たちの一部でもある」というセリフがあります。この感覚に気づいたのはいつごろなのでしょうか? 高松:書きながらです!普段そんなことまったく考えていないのに、書いていたらスルッと出てきたセリフです。うーん、いま読み返しても「そうかあ?」と思ってしまう(笑)。その後の「なんて考えられるかい!」は、心からの素直な叫びですね。 ――友人に鼻息荒く「ポットキャストをやらないか」と誘い、病状を知っていた友人がやんわり断ったシーンがありました。深夜のテンションでメッセージを送って朝になって後悔する、みたいな経験は誰しもありそうな気がしますが、高松さんの場合は後悔はあるのでしょうか? 高松:その「深夜のテンション」が、昼夜関係なく1週間くらい続くわけです。恐ろしいですよね。後悔はうつ期に入った時にめちゃくちゃします。なんてことをしてしまったんだ、もう顔向けできない、というグルグルした感情が1週間から2週間続いて、とことん追い詰められます。最近は治療がうまくいっていて、落ちるところまで落ちる、みたいなことは少なくなりました。 ――高松さん自身の俳句である「散らかったままのキッチン星の降る」について、どのような思いで書かれたのでしょうか? 高松:うわあ、恥ずかしい。私の言う「散らかったまま」は、セルフネグレクトまで行くほど散らかっています。その状態だとしても、少しは希望がほしいなと思って、「星の降る」を付けました。 第6話では、躁うつ病の症状の中でも最も危険だとされる「混合状態」をボクシングにたとえて描いてもらった。「椿」という綺麗な花が、超巨大で、しかも落ちてきてそれで圧死する、という幻想的な俳句が印象的だった。人とは異なる視点で眺めた世界と、じわっと心に染み入る俳句が織りなす情景を、じっくり味わってみてほしい。