「5年間不登校の息子」を“東大進学”に導いた母の尽力「私も一緒になって悩んだ」
担当医に「高IQのひずみが現れている」と言われた
長男の“一番足りない部分”については、こんなエピソードからもわかる。 「提出物を忘れてしまったりするので、先生からも頻繁に注意を受けていて、保護者としてはハラハラしながらみていました。没頭すると他のことがわからなくなってしまう性質があり、たとえば深夜にリビングでひとり公文の宿題を書き散らしているんです。中身を見ると、大学の数学でした。没頭する彼に声をかけたら『今、何時?』と驚いていました。そんなに数学は打ち込めるのに、明日の宿題は終わっていないんです。準備さえしていない。 相談した担当医に『高IQのひずみが現れている』と言われたことを思いだします」と難波さんは言う。能力の凸凹が受け入れられる土壌があるうちはよかったが、徐々に足かせになった。 「思春期に差し掛かり、本人もきっとそうした自分の性質を疎ましく思う場面があったかもしれません。明確な身体の不調としてではなく、いろんな形でそのストレスは出てきました」 具体的な長男のSOSは、たとえばこんな形で現れた。 「登校したはずの長男から電話がかかってきて、『足が地面にくっついて、動かなくなっちゃった』というんです。急いで車で迎えに行って保健室に送り届ける、ということがたびたびありました。画一的に進んでいく学校教育の洗礼を受けて、教育現場との不協和音を感じながらの生活は、本人も辛かったと思います。結局、中学1年生から2年生にあがるころに、不登校になりました」
学校へ行くことを強要しなかった
長男が不登校でいる間、難波さんが午後に仕事を始めるまでの間は、2人きり。こんなやり取りを今でも覚えているという。 「2人で、いろんなことを話しました。長男が頭のなかで考えていることを私に全部言葉にして差し出してくれるような時間でした。学校教育について、世の中に感じる矛盾点について、などなどです。でも最後、必ず長男は『友達や先生からひどい扱いを受けて学校を休んでいるわけじゃないし、学校教育というシステムがあるのも仕方ないことだと思っている』と言っていました。そして不登校の子たちは『どうして学校に行かないの?』と聞くと分からないと答えることが多いんです。息子は彼の能力を使って言葉にしようと頑張ってくれていた期間だったと思います。そうやって折り合いをつけているようでした。 そんな日々が1~2ヶ月ほど続いたあと、長男は唐突に言ったんです。『僕って、こんなにしつこい人間だったんだね。もうこの件に関する話はやめようと思う』って。それ以降、自分のなかのドロドロとした感情を表に出すことはなくなりました。踏ん切りがついたように思えました」 家族はどのような対応を取ったのか。 「対応と呼べるようなものではないのですが、学校へ行くことを強要せず、急き立てず、傾聴することは心がけたと思います。大人という上の立場でアドバイスするのではなく、私も一緒になって悩むことにしました。実際、どんなに明晰な人でも答えが出ないと思うんです。 私がもうひとつ驚いたのは、次男が長男の不登校について何も聞いてこないことです。後年、私は次男になぜ聞かなかったのかを聞いてみて分かったのですが、『兄が家で勉強することは当たり前だと思っていた』と言っていました(笑)。そのとき、もしかすると物事をバイアスでみていたのは私のほうで、子どもたちはそうしたものから解き放たれているのではないかと感じました」