首都の通勤線「廃止」フィリピン国鉄の残念な現状 政府に見放され、新路線建設へ用地明け渡し
また、2011~2012年にかけて、日本から元常磐線各駅停車の電車である203系などまとまった数の中古車両が無償譲渡された。203系は収容力が高く、冷房付きで腐食に強いアルミ車体ということもあり、輸送環境は幾分か向上した。車内の治安、秩序も向上し、ある程度は安心して利用できるようになった。 実際、2008年にはおよそ100万人だった年間利用者数は、2010年には約900万人、2014年には2000万人を超えるまでに急増した。
一方でラッシュ時の混雑が深刻化する中、韓国製気動車の稼働率は半数以下に減少、203系も冷房故障やその他のトラブルで使えない車両が増え、輸送力は頭打ちの状態だった。PNRは輸送改善策として、2018~2020年にインドネシアの車両メーカー・INKAから気動車、機関車、客車を導入。203系の冷房装置もINKA製に換装した。 このように、なんとか運行を維持するべく独自の努力を続けていた中、首都圏区間の運行は3月で終了してしまった。
運行終了にあたって利用者からの反発はほとんど見られず、ひっそりと最終運行を終えた。2023年末頃から段階的に運行本数を減らし、ラッシュ時でも1時間以上間隔が開き、日中運行はほぼ取りやめていたのが効いているともいえるが、運行終了の当日まで通勤、通学、買い物と市民の足として利用されていたものの、なければないで困らない程度の路線に凋落していたことがわかる。 営業を終了したPNR在来線はNSCRの完成後、空いた用地に再敷設する計画もあるが、現時点では何も決まっていない。
■日本の「技術協力」は実を結ぶか 筆者は以前、「国鉄車両検修基地建設事業」で建設されたカローカン工場を訪れたことがある。廃墟のような薄暗い工場内に、廃車体と取り外されたエンジンなどのパーツが並んでいるばかりで、本来実施されるべきヘビーメンテナンスが実施されている気配すらなかった。 この工場もNSCRの開業で接続する線路がなくなるため、閉鎖、解体され、用地はNSCR建設に供される。円借款で活性化が図られたはずの南方線も、マニラ寄りの区間はレールを剥がされたわけで、いったい何のためのODAだったのか、再検証する必要があるだろう。