首都の通勤線「廃止」フィリピン国鉄の残念な現状 政府に見放され、新路線建設へ用地明け渡し
しかし、災害が多発するという事情はあるものの、PNRの安定した運営が阻害されている根本的な理由は、フィリピン政府がPNRに対して適正な予算配分を怠ってきたということに尽きる。 政府が意図的にPNRを縮小方向に誘導しているという典型的な事例が、起点であるマニラのトゥトゥバン駅である。かつては一国の玄関口にふさわしい荘厳なターミナル駅だったが、土地を民間デベロッパーに貸与する形で1994年にショッピングセンターに姿を変えた。
現在の駅は旧駅よりも500mほど北側に位置している。PNR本社ビルを併設しているため立派に見えるが、ホームの長さは3~4両分ほどしかなく、日本でいえば地方私鉄の始発駅と言ったほうがしっくりくるほどだ。都心部ではPNR用地が高速道路建設に流用され、複線だった線路が単線に戻されてしまった箇所すらある。 脱線など重大事故も頻発しており、改善の兆しは見られない。予算が付かず設備の維持管理はストップし、乗客は離れ、賃金は上がらず職員の士気が低下、そして職場が荒廃するという典型的な悪循環に陥っている。結果的にPNRの鉄道マネジメント、オペレーション能力は欠如し、もはや政府としても打つ手なしといった面もあろう。
その一方で、政府は民間資金も活用しつつ高速道路などの道路整備を積極的に進めた。都市間輸送では、所要時間や快適性などどれをとっても、PNRはバス、そしてマイカーに勝ち目なしという状況にある。旧宗主国アメリカの影響を多分に受けているとも言われるが、後発開発途上国(LDC)と呼ばれるようなミャンマーやバングラデシュですら、国鉄が国の大動脈として機能していることを考えれば、PNRが置かれた状況は異常と言わざるをえない。
■日本の「ハコモノ支援」は成果なく 実は、かつて日本はPNRのリハビリに力を入れていた。在来線の活性化は戦後すぐの時期から日本が中心となって進めており、1974年からは海外経済協力基金(OECF:当時)による円借款にて、日本製の気動車を「国鉄通勤輸送強化事業」で30両、「国鉄通勤輸送強化事業(2)」で35両導入した。 戦後賠償の時代から数えると、日本の支援による客車の導入は181両、気動車は169両に及び、旅客車両のほぼすべてが日本製だった(機関車はほとんどがアメリカ製)。その後、1983年には「国鉄車両検修基地建設事業」、1989年に「国鉄南線活性化事業」、さらに1991年に「国鉄通勤南線活性化事業」として、検修基地、軌道、橋梁の改修を中心としたインフラ側への支援も続いた。