日比谷野音ライブまであと数週間――。結成35周年を迎えるガールズパンクバンド・ロリータ18号の35年の変遷を辿る
インディーズブームとメジャー契約での苦悩
――BENTENレーベルに参加した時代に、ちょうどHi-STANDARDに象徴される一大インディーズブームが巻き起こります。80年代のバンドブームが違うカタチになってブームになった感じに映る時代で、マサヨさんはどんな風に見ていましたか? マサヨ バンドブームが終わって数年経過して、「本当にバンドが好きな人たちが残って巻き起こした」時代だと思うけど、個人的にはほとんど意識していなかったですね。もともと私は「打ち上げでおいしいお酒が飲みたい」っていう動機でバンドをやっていたところもあるので(笑)、もしかしたらCDとかを出すことすら望んでいないところもあったので。だから、他のバンドには申し訳ないくらいに思っていました。ただ、インディーズブームのおかげでいろんなメディアに出させてもらって。その辺りから忌野清志郎さんと出会い、よく遊んでもらうことができたのはうれしかったですけどね。 ◆ロリータ18号・飛躍期(1997~2000) ライブや作品をきっかけに日本クラウンよりメジャーデビュー。ライブハウスシーンだけでなく、お茶の間にも認知され始め大きく飛躍を遂げた時代。一方、北海道から東京に戻り、名古屋のラジオレギュラーの生放送に出演し、また次の地方都市に戻るような生活を送り、当時の口癖は「家賃がもったいない」だった。このような慌ただしい日々の中でも、ジョーイ・ラモーン(ラモーンズ)、オルガ(トイ・ドールズ)といったアメリカ、イギリスの大物パンクミュージシャンのプロデュースを受けた作品を発表し、国内外のファンから大きな支持を受けた時代。 たこち ロリータ18号のメジャー時代は「本当にすごいな」と思って見ていました。ずっと仲の良い関係ではあったけど、身近な友達が普通にテレビの音楽番組とかに出ていて。マサヨはもちろんだけど、エナチ(エナゾウ)、キム☆リン、アヤ坊のバンドとして固まっている楽しそうな感じがいいなと思っていました。ただ、マサヨは忙しいのがあんまり向いていないところがあって、結構大変そうにも見えたかな。 マサヨ 「これ、いつ曲を書くんだろう」っていう忙しい日々で。人間ってテンパるのが極限まで行くと、周囲の迷惑とかも考えられなくなるけど、まさにそんな次元でした。 ――メジャーと契約するバンドの中には「商売だからディレクターやプロデューサーが求める楽曲を作ればいいんだ」「そうすれば売れるんだから」と頭を切り替える人たちもいます。音楽をビジネスとして考えるのなら正しい姿勢ですが、おそらくロリータ18号はそういった器用な感じはなかったんじゃないかと思います。 マサヨ そう。当初は私も「メジャーと契約するっていうことは、そういうことだ」「私にもできる」とマジで思っていたんです。自分の中では「うまくヤレている感」を持っているんだけど、でも全然ダメ。追い詰められるとダメだし、嘘がつけない。 ――でも、その嘘をつけない感じが、ロリータ18号を支持し続ける人には一番の魅力でもあって。逆に言えば、35年も休むことなくバンドが続いたのは、その感じが理由のひとつでもあるように思います。 マサヨ でも、メンバーにはだいぶ負担をかけちゃったからね。一見、エナゾウもキム☆リンもアヤ坊もぶっ飛んでいる人に見えるかもしれないけど、すごく思慮深い人たち。気を使う素振りをできるだけ見せないで、気を使うような優しい人たちだった。私も若かったと言えばそれまでだけど、メジャーでの忙しいことに加えて、気を使わせる日々だったと思うと、反省するばかりです。