日比谷野音ライブまであと数週間――。結成35周年を迎えるガールズパンクバンド・ロリータ18号の35年の変遷を辿る
メンバーの入れ替わりがありながらも成熟した10年間
◆ロリータ18号・成熟期(2006~2017) ドラムのTOBUから千本ノックを受け技術的に向上する一方、ライブに全力を注ぎ続け、大きく成熟した時代。メンバーの加入・脱退が繰り返され、リスナーから見れば、ロリータ18号に紆余曲折があったようにうかがえるもののバンドの核となるところがしっかり固まった時代でもあった。 ――TOBUのドラム時代はそこから約10年続いたものの、2016年に脱退します。ギターもタッチャメンが2007年に脱退し、ライトが加入するも2010年に脱退。キックがギターになりますが、彼女も2017年に脱退します。こう見ると、紆余曲折があった2000年代後半から2010年代いっぱいまでも、また紆余曲折の時代のように映ります。 マサヨ 紆余曲折と言えばそうなんだけど、でも35年の中では一番大事な10年間だったかも。「楽しい打ち上げをやりたい」っていう動機を満たすためには、ちゃんと良いライブをしなくちゃいけない、お客さんと音楽を共有して楽しい空間を作らなくちゃいけないってことを分かり始めていた時期でもあったので。楽しいことだけを求めてバンドを始める人って、実は結構いるんだけど、ここで心が折れてヤメていく人は多いんじゃないかなと思う。年齢的なこともあるけど、一番厳しい時代だったと思う。ここで初めて「ヒット曲がない」ことを悔やむこともあったかも。 ――それまでは「売れたい」というよりも「楽しいほうがいい」という感じでしたか? マサヨ いや、「売れたらいいな」とは思ってた。特にメジャーの頃は、関わる人たちのことも考えれば、そうあるべきとも思っていました。でも、どうも私は無理ができないし、「無理してまでバンドを売っていくのは絶対イヤだ」とも思っていて。ただ、この時代は初めてロリータ18号にヒット曲がない辛さを味わったかも。1曲でもヒット曲があれば、その曲がバンドを引っ張っていってくれるところがあるけど、ないと、ずっと挑戦し続けなくちゃいけなくなるからね。 ――やがて、ドラムにちーちゃんが加入し、サウンドが骨太になります。ここでメンバーの変遷を振り返ってみると、加入・脱退を繰り返したのは、マサヨさんが「まず、その人が面白いかどうか」を基準にメンバーを選んでいたからではないかということです。 マサヨ それは絶対そう。「面白いかどうか」が大事だから、結果的に個性的な人が集まって、出たり入ったりすることにもなるんだけど、でもそれがロリータ18号だとも思っていたので。「なんでマーちゃん(マサヨ)は不思議な人ばかりメンバーにするの?」「なんの磁石なの、それ」みたいに言われることも多いけど、でもしょうがないんだ、たぶん私の頭がおかしいから(笑)。 ――ただ、2010年代の後期になると、ラフィンノーズのレーベル、AAレコードからアルバムをリリースしたり、パンクバンドとしては中堅バンドとして認知されるようにもなりました。 マサヨ たこちも私もラフィンノーズ、COBRAは大好きだったし、これは本当にうれしいことでした。私はずっと「自分からパンクバンドです」と言ったことはなかったんです。どうしてかと言うと、パンクロックが本当に好きで、こだわりが強くて憧れがあるから。客観的に見て「ロリータ18号はパンクです」って言われたら、たぶん私ならムカつく。「いやお前なんかパンクじゃねぇだろ」とか思っちゃいそうで。それでパンクバンドと名乗ることはなく、実は今も自分から「パンクバンドです」って言うのが結構苦手。そんな中でも日本のパンクの草分けでもあるAAレコードからのリリースは本当にうれしかったです。なんか、認められた気がした。ラフィンノーズがいなかったら日本のパンクロックはここまで広まっていなかったはずですしね。