「サイコパス」の冷徹さは何らかの役に立つのか 「うまく機能しているサイコパス」に向いた仕事
このような生理学的に異常な性質のおかげで、彼らは重圧のかかる任務を、圧倒されることなくこなせる。社会を少しばかり明るくできるように、ダークトライアドをうまく導く方法があるのかもしれない。 だが、1つ問題がある。サイコパスがうまく機能しているかどうか、どうすれば判断できるのか? サイコパスは、他者を巧みに操るような表面的な魅力を苦もなく発揮する。彼らは、噓やごまかしの名人であることが多い。もし、あなたが判断を誤ったらどうなるのか?
機能不全のサイコパスがうまく機能しているサイコパスのふりをして、特殊部隊に紛れ込んでいたらたまらない。選別検査や心理評価は役に立つが、絶対確実ではない。たとえ、誰かが「うまく機能している」サイコパスだと正確に識別できたとしても、あなたはこれからその人に体を切り裂かれるのだと知ったら、手術を受けたいだろうか? ■なぜ「ケチな暴君」が大勢いるのか? 幸い、ほとんどの上司はダークトライアドの傾向が極端に強いわけではない。あなたが不運でなければ、あなたの管理者は本格的なサイコパスではない。これにはほっとすると同時に、心配も湧き起こってくる。
もし権限のある地位に就いている人の圧倒的多数がサイコパスではないのなら、神経学的に正常なのにケチな暴君が、この世にあふれ返っているのはどういうわけなのか? 言い方を変えれば、サイコパスはみな自信過剰だが、自信過剰な人の多くはサイコパスではない。そして、彼らは至る所にいる。 もし私たちが、人を巧みに操るダークトライアドのサイコパスたちを運良く避けられるのだとしたら、自分の生活のじつに多くの面を自信過剰の愚か者たちに支配されるという不運に見舞われることが、なぜこれほど多いのか?
(翻訳:柴田裕之)
ブライアン・クラース :ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン准教授