原作の熱量そのまま!映画『ブルーピリオド』萩原健太郎監督と脚本の吉田玲子が明かす、制作の舞台裏
累計発行部数700万部を超える、山口つばさの人気漫画を実写映画化した『ブルーピリオド』(公開中)。本作は、成績優秀で友人も多くスクールカーストの上位にいながらも空虚な日々を送る高校生の矢口八虎が、ある一枚の絵に心奪われたことをきっかけに厳しい美術の世界へと身を投じ、美大を目指して心を燃やす姿が描かれていく。主演の眞栄田郷敦をはじめ、高橋文哉、板垣李光人、桜田ひよりといった人気と実力を兼ね備えたいまをときめく若手俳優が顔を揃え、クランクイン前から実際に絵の練習に励みながら、美術に情熱を注ぐ登場人物たちの魂を体現した。今回は、メガホンをとった萩原健太郎監督と、本作のアニメーション版に続き実写版の脚本も手掛けた脚本家の吉田玲子に、原作コミックからどのように取捨選択を行い、原作から伝わる熱量そのままに再構築していったのか。その舞台裏を明かしてもらった。 【写真を見る】『ブルーピリオド』萩原健太郎監督と脚本の吉田玲子が語る、実写化への心構えとは? ※本記事は、ストーリーの核心に触れる記述を含みます。未見の方はご注意ください。 ■「実写化する側が、どのような作品を作りたいのかしっかり提示することが重要」(吉田) ――まずは、アニメの脚本も担当されている吉田さんが、実写版の脚本も手掛けることになった経緯から伺えますか? 萩原「脚本をどうしましょうかという話になった時に、プロデューサー陣から吉田さんのお名前が挙がったんです。僕も吉田さんが脚本を書かれた『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』がとても好きだったので、ぜひお願いしたいなと思いました。その時点では、僕は吉田さんがアニメ版の脚本を担当されているとは知らなくて…」 吉田「すでにアニメ版の脚本はすべて書き終えていて、アニメーションも最初の数話分はできていたタイミングで、実写の脚本のオファーがあったんです。おそらく、制作会社の方とのご縁で、プロデューサーの方が私の名前を出してくださったのだと思うのですが、『あ、こういう偶然ってあるんだな』って(笑)」 ――すぐに実写版の脚本に向けて頭を切り替えるのは、難しくはなかったですか? 吉田「アニメとは全然尺が違うので、またイチから構成し直す必要があるなとは思いました」 ――原作コミックをアニメーションにして、それをさらに実写映画にするにあたり、それぞれの表現媒体の持つ役割については、お2人はどのように考えていらっしゃいますか? 特に吉田さんは今回、アニメと実写の両方の脚本を手がけられたことで、より両者の表現の違いについて考えることもあったのではないかと。 吉田「アニメーションでできることと、実写でできることというのは、見せ方とか時間の流れも含めて、違いがあります。アニメはカット主義ですし、実写の場合は役者さんの芝居が続いて流れていく。そういう意味では両者の違いはいろいろありますけれども、なにをどういう風に描くのかについてはどちらにも共通していますし、本質的な部分が原作と違わなければ大丈夫なのかなという気はしています」 ――なるほど。 吉田「アニメーションの場合は、原作者の方にキャラクターデザインや背景などの監修もしていただくので、製作が始まる前にスタッフサイドと打ち合わせが必須になります。原作者の意図を伺ったうえで、『原作とは多少違ってもいいから、思いきり好きなようにやってください』という方もいれば、『原作にできるだけ忠実にしてほしい』という方もいますし、そのあたりは作品によって異なります。もちろん、原作ファンがたくさんいるという前提で映像化が企画される以上『この物語のどんなところが読者の共感ポイントになったのか』『このキャラクターのどういうところがみんなに愛されているんだろうか』ということは当然考えます。ただ、そこがすべてかというとそうではなくて。あくまでも実写化する側がどういう風に作品を作りたいのかということをしっかり提示することが重要になってくるんじゃないかなと思います」 ――監督は原作者の山口先生とも直接お話しされたのですか? 萩原「クランクインの直前に、俳優部全員で絵画の合同練習をやったのですが、その時に山口先生が来てくださって、そこで初めてお会いしました。ただ、それまでも講談社を通して山口先生のご意見を伺っていましたね」 ――監督が原作ものを実写化するうえで、意識されていることはどんなことですか? 萩原「僕も吉田さんと同じ意見ですね。やっぱり原作ファンが好きな部分や、どうしてこの作品がここまで人気があるのかという部分については、実写化するにあたっても絶対に考えなければいけないポイントだと思うのですが、それと同じくらい僕ら側の原作に対する愛をいかに示せるかというのも大切で。今回の場合で言えば、キャストのビジュアルが原作のキャラにわりと近かったりするのもそうですし、CGを使って原作の世界観をできるだけ再現したりすることもそう。もっと細かい部分で言えば、1巻に登場するいつも汗を拭いている優等生の坂本くんというキャラクターを、眞栄田さん演じる八虎の隣の席に置いてみたり、大葉先生のエプロンに原作通りのワッペンを付けたり…と、ところどころに原作への愛を滲ませたりもしています。 とはいえ本質的な部分で言ったら、この『ブルーピリオド』という作品が支持されている一番のポイントは、藝大受験のリアリティを描いているところにあると僕は思うので、そこがなによりもリアルに見えないといけないはず。予備校や試験会場にいるエキストラも全員本物の美大生ですし、普段彼らが日常的に手にしている画材を使って描いた絵を、映画の中にも使わせていただいているんです。そういったコアな部分と、気づいた人だけが思わずクスっと笑えるようなユーモラスな小ネタをバランスよく取り入れれば、きっと原作のコアなファンの方たちも納得してくださるのではないかなと」 ■「映画では、八虎が自分自身と向き合ってどう成長していくかに重点を置きました」(萩原) ――今回、原作コミックの6巻までを 2時間以内の映画に収めるために、具体的にどのような取捨選択をして構成されたのでしょうか? 吉田「実写版では『八虎が一枚の絵と出会って、自分の絵を見つけて、藝大に合格する』という大きな構成を考えたうえで、そのために必要な要素を抽出していったような感じでしたね」 ――監督としては、どうしたいと考えていらしたんですか? 萩原「基本的にはやっぱり、八虎の物語ですよね。八虎の視点で、彼を中心に描くなかで『凡人vs天才』という構図は見せたいなと。もちろん、美術の知識や技術に関してもそうなんですが、八虎は“自分自身”というものを持っていない子なんです。自分の中での正解とか、なにがいいとか、かっこいいとかっていう核がなくて。いわゆる、世の中的に“いい”とされているものをよしとして生きている人なので。そういう意味で、八虎はいくら勉強や運動ができても“凡人”だと思うんですよ」 ――吉田さんは八虎をどのような人物だと捉えて脚本を書かれたのでしょうか? 吉田「自分の好きなものや価値観をベースに、それを貫いて生きているユカちゃんが、逆に“好き”を貫くことで傷ついているのに対し、八虎は、周りがよしとする一般的な評価に合わせて生きているがゆえに、自分の絵が見つけられずにいるという、対照的な存在なんですよね。これまで鎧をたくさん身につけて生きてきた男の子が、自分自身を見つめ直すことによって、どんどん裸になって、自分自身の本質を見せていくようになるお話なのかなと」 ――「原作をいかに忠実に再現できるか」というのも実写化の醍醐味の一つであり、本作におけるその最たる例が、八虎が早朝の渋谷の青い空を舞うシーンではなかったかと思います。あのシーンを実写で再現しようと思われた理由とは? 萩原「あの場面は、原作でも非常に印象的なので、実写化するからには原作ファンも絶対観たいシーンのひとつだろうなと。権利元の講談社にプレゼンをする時から『このシーンはこう表現します』って、イメージボードを作ってお見せしていたんです。だから、実写であれをやらないという選択肢は端からなかったですし、もしやらなかったら、この原作から逃げていることになるんじゃないかとさえ思っていて」 吉田「一般的に、コミックで見開きになっていたり、大きめのサイズで描かれていたりするシーンというのは、原作者の方も力を入れて描かれていると思うので。脚本を書く際にもできるだけ意識するようにはしてますね。現実には起こり得ない場面を文字で表現することは、アニメ―ションのシナリオではわりと日常的にやっていることだったりもします」 ――逆に、ところどころ構成を少し入れ替えられていたり、八虎以外のキャラクターの背景にほとんど触れなかったりした理由についても伺えますか? 萩原「もちろん、八虎以外の登場人物の背景や葛藤についても入れたかった気持ちはありますが、入れるからには中途半端にせず、しっかりと回収してあげる必要があるので。今回はあくまで八虎が藝大合格という目的を果たす過程で、天才たちにどう立ち向かったのかというところにフォーカスを絞りました。世田介やマキのコンプレックスも描いてしまうと、彼らも決して天才なだけではないところが見えてきてしまい、彼らの背景も描く必要が出てくるので、今回は極力省きました」 ――なるほど。あくまで八虎が自分自身と向き合って、どう成長していくかに重点を置かれた、ということですね。 萩原「吉田さんの初稿の段階にはあった、原作の初詣のシーンをカットしたのも、『初詣に行ったタイミングで八虎が世田介に認められてしまうのは、2時間という尺のなかだとまだ早いんじゃないか』と考えてたから。あくまで2人はあのままの関係性で進み、最終的に2次試験の前に初めて認めてもらえるという流れのほうが、最後に八虎の感情がブーストするきっかけになるのではないかという判断でした。結果的に八虎は藝大受験に受かりますけど、言ってみればそれも世の中的な価値観なわけじゃないですか。『受けたからには、受かりたい』という。でも八虎にとっては、試験を通して自分の絵が描けたことがなによりうれしいわけで、合格自体はおまけでしかないんです。これは余談ですが、ラストの八虎の藝大合格シーンを撮影していた時、プロデューサーから『八虎の顔のアップを撮ってくれ』と言われたんです。『入りたかった藝大に入れた、八虎の顔が見たい』と。でも僕は『それは嫌です』とお断りした。だって、ピークはそこじゃなくて、二次試験で描き切った時の顔だから。郷敦も『あれ以上、いい顔はできないです』と言ってましたしね」 ――実際、その八虎の顔は、宣伝ビジュアルでも大きく使用されていますよね。 萩原「もっと言えば、本当に重要なことって、スクリーンに映っているそのものじゃなくて、そこに込められた意味だったりすると思うんですよ。今回、僕がやりたかったこととしては、絵画の基本である“光と影”と“色の三原色”を、いかにこの映画の中に表現として組み込めるかというのがありました。つまり、最初は光を求める存在だった八虎が、最終的には光を描く側になっていたり(藝大の2次試験での八虎の最後の一筆は、モデルの瞳に入れたハイライト!)、実は、物語が進むにつれて八虎が描く絵の色数が、青・赤・黄と増えていったりもする。そういった映画的表現を入れ込むことで、ペラペラのスクリーンに映し出される映像にも深みを持たせられるような気がしたんです。こういう細かい部分に対するこだわりが『美術は言葉を超えていく』ということにもつながるんじゃないのかなと」 吉田「たしかに。完成した映画を観たら、八虎が絵を描いているシーンを監督がとてもエネルギッシュに演出してくださっていて、活力を感じるというか。非常にエモーショナルに表現されていたことに感動しました」 ――細部まで計算し尽くしたうえで、視覚的な奥行きを作り出されているわけですね。 萩原「これは表面的なビジュアルのみに限ったことではなくて、演出面でも言えることです。例えば役者が泣いているシーンを撮りたい時に『泣いてください』とは言わないじゃないですか。要は、それまで彼の人生にはなにがあって、このタイミングでこういうことを言われたら、彼はどうなるだろうか…って、カメラが回る前の時間に思いを馳せることが大事だったりするんです。スクリーンに映っていない部分をどう考えて、感情をどう動かせるか。それが、僕の思う演出なので…」 ――では最後に、今回お2人が実写版で描きたかったテーマとは? 萩原「僕としては『芸術というものは、才能がある人しかやってはいけないものなのか。ただ好きなだけではダメなのか』という問いに対して、最終的に『やっぱり好きが勝つ』という映画になればいいなと思うんです。そして、そんな八虎の姿を観た人たちが、別に美術じゃなくてもいいから、好きかもしれないことを、『自分もちょっとやってみようかな』と思うきっかけになれば。その一歩って、実はすごく大きい気がしているんですよね」 吉田「周りの価値観に合わせて生きてきた八虎が、本当に好きなことを見つけられたことで、鎧を脱いで自分をさらけ出して生きていくようになるというところは、きっといまの10代、20代の人たちにも共感してもらえるんじゃないかな、と。好きなことを仕事にしていると、楽しいだけでなく傷つくことも多いですが、八虎のように自分の好きなことに恐れを抱きながらも向き合って、突き進んでいただきたいです」 取材・文/渡邊玲子