<春に挑む・’23センバツ長崎日大>支える人/下 取材班結成の新聞部 廃部危機乗り越えエール /長崎
「2年連続センバツ出場!」。長崎日大のセンバツ出場が決まった1月27日、1面トップに帽子を投げて喜ぶ選手の写真を掲載した「長崎日大新聞」が発行された。制作したのは新聞部の生徒たちだ。 1面には平山清一郎監督(43)の「昨年の甲子園では悔しい思いをしたので借りを返したい。甲子園で校歌を歌えるように頑張りますので、応援よろしくお願いします」とのコメントも掲載。2面は、新聞部員が沖縄県に出張して撮影した秋の九州地区大会や、県大会で優勝した瞬間の写真などで飾った。 新聞部は1967年の開校当初に創部。50年以上の歴史がある部だが、新型コロナウイルス感染拡大に伴う活動休止などで部員がいなくなって新聞制作ができなくなり、2020年には廃部の危機にひんした。 21年春に顧問の坂本和昭教諭(52)が窮状を訴え、現部長の山崎琴葉さんら2年生6人が入部。新聞は21年5月に復刊した。22年春入学の1年生も加わり、現在は24人が活動する。 長崎日大が23年ぶりに出場した22年春のセンバツは、新聞部員も現地で取材。準優勝した近江(滋賀)に延長十三回タイブレークで敗れた激闘を学校関係者に伝えた。 今年は野球好きの1年部員3人の「野球取材班」を結成。国語を教える坂本教諭に文章力の高さを買われて入部した班長の園田一義さんは、同学年でエースの西尾海純(みいと)投手と仲が良く、学校の廊下で会えば気軽に声を掛け合う間柄だ。 園田さん自身が卓球部と兼部していることもあり、「運動部員同士、気持ちが分かる部分もある。クラスメートの野球部員もおり、活躍を取材するのが楽しみ」と話す。 同班の高柳颯太さんは、センバツ出場決定時の選手の様子を報道陣に交じって一眼レフカメラで撮影。高柳さんは「甲子園で活躍する選手の表情を写真で捉え、紙面を華やかにしたい」と意気込む。記事の見出しを考えたり、レイアウトをしたりする編集作業も部員たちがパソコンを使って進める。 新聞部の活動は、野球部員の大きな励みになっている。長崎日大中学時代から園田さんと仲が良い森田輝星選手(1年)は「新聞で取り上げてもらえるくらい、活躍できるよう頑張りたい」と語った。【高橋広之】 〔長崎版〕