60年以上新規参入を阻む壁を越えたい――秋田で新たな酒造りに挑む九州男児の挑戦
そんな折、日本酒の人気ブランド「新政」と出会う。懇意にしていた神戸の居酒屋・ぼでがで、店主に薦められるままに飲んだ新政の酒は、五臓六腑に染み渡った。どれを飲んでもうまかった。 「ここで働きたいな、ってピンときました」 ちょうど、新政酒造が蔵人を募集していたという運もあった。SNS経由で社長に直談判して採用に。大学を卒業した2014年の春、入社とともに初めて秋田に足を踏み入れた。 新政酒造は、秋田県随一の繁華街・川反通りの目と鼻の先にある。昼は蔵で酒造りに邁進し、夜はひたすら飲み歩く日々。稼ぎの大半は酒代に消えていった。店へのツケで飲むこともしばしばだったという。 岡住が顔なじみとなっていた店のひとつ、日本酒Dining KUROの目黒貴志は、当時を笑いながら話す。 「とにかく飲んでた印象です。今の若い子にはないような酒の強さでした。新政には、いまフランスで日本酒(WAKAZE)を造っている子も修業にきていて、彼とよく酒造りの夢を語っていたのを覚えています」
「商品力」で得た2億円超の融資
製造と消費の現場を行き来する日々は、気づけば4年半に。すっかり酒造りに魅せられていた岡住。2018年秋、醸造所起業を目指し新政を卒業する。 「酒造りをイチから学んだ秋田で起業したいなと。4年半でお世話になったたくさんの人たちに恩返ししたい思いも強かったです」 醸造所の候補地を探すかたわら、最初に着手したのは原料となる米探しから。 「まずは農業、米作りから関わろうと思いました。酒造りは学びましたが、その原料となる米作りのことは何もわかっていなかったので。1、2年目はそうして見つけた酒米を使った委託醸造でお酒を造り、3年目に法人化して自社醸造しようと」 委託醸造は、新政時代から付き合いのあった群馬の土田酒造が引き受けてくれた。2年目には新政時代の飲み仲間と組み、「自社田」も確保。酒米は自然栽培米にこだわった。
委託醸造には、「岡住の酒」が本当に売り物になるのか証明する狙いもあった。3年後の醸造所開業に向け、金融機関から融資を得る必要があったからだ。 「担保も実績もないなかで、こいつらの商品が本当に売れるのか、そこを金融機関は見てくるわけです。そこに説得力を持たせることができるか。ここは学生時代にベンチャーファイナンスを学んでいたのが生きました」