60年以上新規参入を阻む壁を越えたい――秋田で新たな酒造りに挑む九州男児の挑戦
酒蔵を取り巻く厳しさと、感じた可能性と
ただし、「清酒」も諦めてはいない。岡住は醸造所開業に先立ち、「輸出用清酒」の製造免許も取得している。これは、低迷する国内需要とは裏腹に、右肩上がりに伸び続ける海外需要を背景に昨年春から規制緩和で「解禁」となった免許だ。2021年に日本酒の輸出額は400億円を超えており、この10年で4倍以上伸びた計算になる。岡住の「日本酒」は、すでに香港のラグジュアリーホテルや星付きレストランで提供されている。 「海外展開に注力するということではなく、日本で造った酒を日本で買えない、飲めないという現状への問題提起にまずはなればいいと思っています。打ち上げ花火みたいなものですよ(笑)。日本酒を造りたい若者がどんどんこの世界に入ってこられるように、免許取得のルールを動かすきっかけになれば」
そんな岡住だが、実は大学卒業まで男鹿はおろか秋田に縁もゆかりもなかった人間だ。 高校までを北九州市で過ごし、神戸大学経営学部に進学。大学では、アントレプレナーシップとベンチャーファイナンスを扱うゼミに所属した。次第に将来の進路として、企業勤めではなく起業を意識するようになっていく。 神戸には、日本随一の酒どころとして知られる灘地区がある。生来の酒好きだった岡住にとっては天国のような環境。大学の授業で酒蔵がお題になることもあった。一方で、酒蔵を取り巻く厳しさも目の当たりにした。 「どう考えても経営環境は悪いし、このままじゃジリ貧じゃん、っていうのがもう学生ながらにわかるレベルで。ただ、逆にそういうところに入っていったらチャンスあるかもな、とも感じたんです」 「自分で事業をやる場合、日本人として何をやるのかっていうことをすごく考えました。どうせやるなら好きなものをということで、やっぱ日本酒かなって。海外から見たら完全にブルーオーシャンだったし、輸出額も当時から増えてましたからね」 日本酒に関わる仕事で起業を、そう目標に定めた。 「地方で雇用創出する起業家になりたいというのもありました。東京とか、生まれ故郷の福岡とかだと他にも起業家がいっぱいいるから、僕がやる意味はないなって。酒蔵は全国にある。まずは造るところから始めようと。造ることを経験したら何かしら、酒を売ることや教えることにつながるかもしれない。お酒を軸にした仕事って、なんぼでもあると思うんです。その中で向いたものを探せばいいかな、まずは造ろうっていう感じでした」