古賀紗理那さん単独インタビュー 引退後の日常と指導者への道「ときめいた時に…」
バレーボール女子元日本代表の主将・古賀紗理那さん(28)は、2024年のパリ五輪を最後に現役を引退した。惜しまれながらユニホームを脱いだエースは、五輪後の秋から夫の西田有志(24=大阪ブルテオン)が拠点を置く関西で同居生活をスタート。手料理などで夫を支えながら、自身もモデルデビューを果たすなど活動の幅を広げている。今回の単独インタビューでは、激動の1年を回想。大きく変わった日常生活から25年の抱負まで、余すところなく語り尽くした。 【写真】ポージングする古賀紗理那さん ステージが変わってもオーラは健在だった。現役引退後は公の場に登場する機会が急増。24年11月には「遊勤コーデ」ランウェイ発表会でモデルデビューし、新たな一面をのぞかせた。 古賀さん(以下古賀)緊張したけど、楽しくできた。いい経験をさせてもらった。(バレーとは)緊張の種類が違うけど、どっちも緊張しますね(笑い)。撮影の時は「こういうポーズをしてください」とか「こういう表情をしてください」というのを毎回教えていただいていたので、それを意識していた。なかなか経験できることではないので、すぐにオファーを受けさせていただきました。 ――24年5~6月のネーションズリーグ(VNL)で史上初の銀メダル獲得に貢献した一方で、現役最後の試合となったパリ五輪は1勝2敗で1次リーグ敗退に終わった。12年ロンドン五輪以来となるメダルは逃したものの、古賀さんの表情は晴れやかだった。 古賀 24年はまずパリ五輪の出場権を取るところから始まって、シーズン中は大変な1年だったけど、VNLでは決勝まで行くことができた。初めての経験をさせていただいたので、私にとってはとても濃い1年になった。一日一日、丁寧に競技と向き合って、ずっと練習も試合もしてきたので、後悔なく(現役を)終わりました。 ――かねてパリ五輪後の引退を表明しており、帰国後に引退会見を実施。会見の終盤には西田がサプライズで登場すると、2人で写真に納まる場面もあった。長きにわたってバレーボール界をけん引してきた中で、引退会見は今でも印象に残っているという。 古賀 やっぱり引退会見が一番緊張したかな。会見をする機会なんてなかなかないし、選手を辞めたらなかなかないことなので、もうこれが最後だなと思った。当日は台風だったけど、たくさんの方が来てくださって、これまでの自分の競技人生のことを振り返って話す機会も初めての経験だったので、すごい緊張したのを覚えています。 ――現役時代は関東が拠点だったが、引退後に関西へ引っ越して生活リズムが大きく変化した。引退した実感は「わからない」と話しながらも、料理などの家事をする機会が増えた。 ――古賀 これまでずっと体を動かしてきたぶん、急に体を動かさなくなると気持ち悪くなっちゃうので、1時間くらいは軽くトレーニングをしている。でもご飯は毎日つくっていて、現役時代も自炊はしていたので、アスリート向けの食事は一般の方よりも知っているつもり。そこはちょっと意識しながら食事はつくっている。得意料理はないけど、夫がシーズン中は鶏肉ばかりを食べるので、鶏肉を焼いたりみたいな感じですね。 ――夫の西田は、24―25年シーズンから新設されたSVリーグの大阪ブルテオンに所属。開幕戦を現地で観戦するなど、現在は女子よりも男子の試合を多くチェックしている。現役時代から西田とバレーボール談議をすることはあったが、必要以上に立ち入ることは控えているという。 古賀 これまでは試合をする側だったので、試合を見ているのは不思議な感覚がする。夫にはアドバイスをする時もあるけど、基本はしないかな。夫のプレーに対しての評価とかはそんなにしていないし、ちょいちょい質問されたら答えるみたいな感じ。私からいちいち言うことでもないなと思っているけど、聞かれたら答えるみたいな感じにしています。 ――9月からは新居でフレンチブルドッグの「ハリソンちゃん」と、チワワとミニチュアピンシャーのミックスの「チャーリーくん」を飼い始めた。家族の仲間入りを果たした2匹の犬は、古賀さんにとって癒やしの存在となっている。 古賀 夫と2人で「飼いたいね」と話していて、ペットショップに行ったら本当にかわいくて「この2匹にしよう」と言って決めた。やっぱり子犬なので、しつけをしたりとか大変なことはあるけど、それよりもやっぱりかわいい。私たちが疲れていても駆け寄ってきて元気をくれるので、本当に飼ってよかったなと思います。 ――イベントの場では「指導をしていきたいのは目標だけど、まだ確定はしていない」と、セカンドキャリアに言及する場面もあった。ただ、まだ未来像を模索している段階。言葉を選びながら、今後の展望を語った。 古賀 夫がいつまで選手をやるかもわからないし、その時になってみないとわからないことはたくさんある。だから、その時に「これやってみたい」と、ときめくものがあったらやりたい。私はスイッチが入るまでに時間がかかるし、ときめく回数も少ないので、自分がときめいた時にしたいことをしたいなと思う。だから、具体的なことは今言っちゃうと、ウソになっちゃうので、ときめいた時に話しますね(笑い)。ときめきは急に来るので。 「本当に特別な舞台」と語っていたパリ五輪が幕を閉じ、古賀さんは第一線から退く道を選んだ。新たな一歩を踏み出す25年の抱負は「家族で楽しく健康に生きて、やっぱりお仕事をいただいた時は、丁寧にしっかりしたいですね」。焦ることなく、自分のペースで第2の人生を切り開いていく。 ☆こが・さりな 1996年5月21日生まれ。佐賀県出身。5歳で熊本県へ引っ越し、小学2年で本格的に競技を始める。熊本信愛女学院高卒業後は、Vリーグ(現SVリーグ)のNECに入団。2季連続で最高殊勲選手賞を受賞した。高校2年時の2013年に初めて日本代表入り。16年リオデジャネイロ五輪は代表から落選するも、21年東京、24年パリと2大会連続で五輪に出場。22年からは主将を務めた。夫はバレーボール男子日本代表の西田有志。180センチ。
中西崇太