高度経済成長期の少女たちが『サインはV!』に大熱狂…!登場人物が骨肉腫で亡くなる「スポ根マンガの金字塔」は漫画家も「命がけ」だった!
皆が真似した必殺サーブ「いなずまおとし」
主人公・朝丘ユミ(岡田可愛)、熱血コーチ・牧圭介(中山仁)、チームメイトからライバルに転じるエリート選手・椿麻理(中山麻里)らが繰り広げる汗と涙の青春ドラマで人気はうなぎのぼりに。ドラマの視聴率は40%を越え、当時、小学生の女の子たちがバレーをするとなれば、誰もが「いなずまおとし~!」とセリフを叫んで、そのポーズを真似しました。 最終盤には衝撃の展開が待っていました。全日本選手権決勝戦を前に、ユミとともに「魔のX攻撃」を繰り出すチームメイト、ジュン・サンダース(笵文雀)が骨肉腫に侵され、亡くなっていくのです。その放送回には、全国から「助命嘆願書」がテレビ局にどっと寄せられたほどでした。 主人公・朝丘ユミをしのがんばかりのジュンの人気に、『少女フレンド』1970年8月11日号の巻頭グラビアでも、「ジュン・サンダース追悼特集」が組まれたのです。
望月あきら先生は、とうとう肺結核で入院
じつは神保氏も望月氏も、バレーボールの知識はにわか仕込みでした。 「バレーボールマンガを描かないかと編集部から言われたのですが、まったく知らなかったんです。原作者をつけてくれるというから、それなら大丈夫かと思ったら、まだ18~19歳ぐらいの若手小説家だった(原作者の)神保も何も知らないという。 どうしようかと思いましたが、神保がこう言うんです。『大松監督に教えてもらえばいいじゃないか』。講談社で大松監督に連絡を取ってくれたんですが、全国を飛び回っていて忙しくて無理だ、ただこの人達(日立武蔵)を見に行けと言ってくれて。 それで打ち方とかルールとかを連載開始前に1ヵ月間勉強させてもらって、なんとか格好つけて描きました」(2019年江東区森下文化センター『スポーツマンガの魅力が大集合!! 』講演会での望月あきら氏発言より) 実は連載開始時にはそれほど人気がなく、若い二人で必死に物語を考えて池袋の改札口で話し込んでいたら終電を越えてしまった、ということもたびたびだったそうです。 しかし10話を過ぎて人気が急上昇、毎号読者投票首位を譲らず、さらにテレビ化で特集、増ページが続き、彼らは寝る間もないほどのハードワークに追いまくられることになります。 そしてついに望月氏が結核で倒れてしまったのです。左肺を1/3切除するという重症で1年半もの入院を余儀なくされ、連載は尻切れのような形で終わることになりました。物語を紡ぎ出す側も文字通り命がけだったのです。 〈人間は、生まれてからおとなになるまでに、いろいろな障害に出会う。そして、きずつき、たおれ、くじけそうになりながらも、ひっしに立ち上がり、その障害を乗りこえていく。その障害が大きければ大きいほど、そして多ければ多いほど、それを乗りこえてきた人間は、りっぱで、すばらしいおとなに成長するのではないだろうか。 その障害をバレーボールというものに形をかえ、そして、それを乗りこえていく少女を朝丘ユミにすること。こうして生まれたのが、この「サインはV!」だ。 VはVICTORY―勝利。このばあいの勝利は、試合に勝つことだけではなく、人間としてりっぱに成長することを表していこうといいあったっけね。〉(単行本最終8巻・巻末「望月あきらから神保さんへー「サインはV!」の思い出」より) 二人の熱量のこもった思いが伝わってくるようではありませんか。