高度経済成長期の少女たちが『サインはV!』に大熱狂…!登場人物が骨肉腫で亡くなる「スポ根マンガの金字塔」は漫画家も「命がけ」だった!
---------- 前編記事『「おれについてこい!」…日本女子バレー「東洋の魔女」をしごき上げた「鬼の大松」超スパルタ伝説の「意外な真実」』は、日本人のオリンピック熱に火をつけた「東洋の魔女」を率いた大松博文監督と講談社をめぐるエピソードでした。そして女子バレーボールのブームから少女マンガの名作が生まれたのです。 ---------- 【写真】古賀紗理那、石川真佑…「絶対的エース」の鍛え上げられた衝撃ボディ&プレー
『サインはV!』のオープニングは大松監督の涙から
東京五輪から4年後、大松監督と東洋の魔女の物語は、講談社にさらなる果実をもたらします。それが、一大ブームを巻き起こした少女マンガ『サインはV! 』です。同作は『週刊マーガレット』(集英社)誌に連載されていた『アタックNo.1』(浦野千賀子)とともにスポ根少女マンガの金字塔と言われています。当時の少女たちは『アタックNo.1』派と『サインはV! 』派に分かれていたものでした。 『サインはV! 』の連載が雑誌『少女フレンド』で始まったのは、『アタックNo.1』に遅れること6ヵ月、東京五輪に続くメキシコ五輪の真っ最中だった1968(昭和43)年10月15日号からでした。 第1話の冒頭は、東京五輪の決勝戦・マッチポイントの緊迫した場面から始まります。そして勝利の光景と大松監督の顔アップのコマ、さらに「この日をきっかけにバレーボールは全国の少女のあいだでさらにひろまっていきました。」というナレーションが入り、主人公の朝丘ユミが登場します。
実業団「立木武蔵」で日本一を目指す少女
小さいながらも天才的なバレーセンスを持つユミは、東京五輪の翌年・1965(昭和40)年の春に中学を卒業し、牧圭介コーチの誘いを受けて実業団の新チーム「立木武蔵」に入団。王者ニチボーを倒すため日夜汗と涙の猛特訓をうける…という設定でした。 「立木武蔵」とは、東京五輪開催年(1964年)に創部された「日立武蔵」がモデルであり、メキシコ五輪では同部所属の高山鈴江選手が全日本チームの一員として銀メダルを獲得しています。 ユミが操る変化球サーブ「いなずまおとし」、強豪チーム・ヤシカのエースが繰り出す「殺人スパイク」といった魔球と必殺技に読者たちは毎週ワクワクし、さらには、やはり実業団選手だったユミの姉はバレーの特訓中に急死したが、その練習相手は牧だった…といった伏線も次第に明らかになっていきます。 そして連載開始から1年後、TBS系列で実写連続ドラマとしてテレビ化されたことで、一気に人気が加速しました。毎週日曜19:30-20:00というゴールデンタイムで全45回にわたって放送されたテレビドラマ版では「立木武蔵」は「立木大和」とチーム名を変え、マンガではニチボー、ヤシカなど実在の実業団チームの名前だったライバルのチーム名も変わっています。 しかし原作者・神保史郎氏と漫画家・望月あきら氏が脚本チェックだけでなくキャスティングの選考・決定にも関わるなど、全面協力の体制が取られました。